「100本以上の映画に出てきましたけれど、仕上がりを観るのがこんなに怖かった作品は初めてです」

 今年、芸能生活70周年を迎えた草笛光子さん(86)がそう語る映画とは、『老後の資金がありません!』(前田哲監督)。垣谷美雨さんのベストセラー小説を原作に、誰もが頭を悩ませるシリアスな問題をユーモラスに描く。

 主人公は53歳の主婦・篤子(天海祐希)。自身はパートが打ち切られ、夫(松重豊)が勤める会社は倒産。舅の葬儀で思わぬ出費を強いられ、娘はフリーターのくせに派手婚。老後用に貯めた700万円は激減し、浪費家の姑に仕送りしている毎月の老人ホーム代9万円が重い。

 その姑・80歳の芳乃を、草笛さんは演じている。


草笛光子さん

「監督から『役作りはしないでください』と言われたんです。『草笛さんは何もしなくても可笑しいですから』って。それがショックでね(笑)」

 篤子の友人に頼まれ、芳乃は年金詐欺の片棒を担ぐ。所在確認に訪れる役所の職員(三谷幸喜)を欺くため、行方不明になっている老人の替え玉を務めるのだ。

 その老人役は、毒蝮三太夫さん。トレードマークの銀髪をカツラで隠し、毒蝮さんに似せたメイクで撮影現場に現れた草笛さんは、「お嫁に行けなくなる」と呟いて、天海さん以下を爆笑させたとか。

「しかもあの場面、なぜか私の前歯が抜けて、ポロッと落ちてしまったんです。ところが監督が『そのまま撮らせてください』と言うので、あのメイクで歯が抜けたままニッコリ笑うアップまで。これで女優のキャリアが駄目になったら、前田監督のせいですよ。悔しいわ」

 クライマックスは、芳乃の生前葬。草笛さんが『ラストダンスは私に』を歌って踊る感動的なシーンだが、実は抵抗があったという。

「ミュージカルやオペラをたくさんやってきましたけど、最近は補聴器を使っていますから、歌うのは嫌だったんです。でも押し切られてしまって、最後は補聴器を外して、戦いました。生まれたときの耳になって肉声で歌ったのが、かえってよかったみたい。

 若いときでは歌えない歌があるし、女優なら、この年齢にしかできない歌い方ができなきゃいけません。歯が取れたり、一番心配だった歌の場面をやり遂げたことで、何かを乗り越えました。人間、居直ることも必要ですね」

 しかし、ままならないのは老後の資金ばかりではない。コロナの影響で、劇場公開が来年に延びてしまったのだ。

「私は生で演じるのが好きですから、舞台をずっと続けてきました。できれば映画も、生々しいうちに観ていただきたかった。

 コロナのせいで毎日が日曜日になりましたけど、飽きませんね。いっぱい本が読めたし、充電というよりも前向きに、自分を厳しく見つめ直したり、新しいスタートを考える時間になりました。

 でも世の中では、悪いことしているヤツほど目に見えない。それが癪に障りますよ」

くさぶえみつこ/1933年、神奈川県生まれ。50年、松竹歌劇団に入団。99年に紫綬褒章、2005年に旭日小綬章を受章。舞台での活躍も目覚ましく、近年は「新・6週間のダンスレッスン」(18)、「ドライビング・ミス・デイジー」(19)などに出演。

INFORMATION

映画『老後の資金がありません!』
https://rougo-noshikin.jp/

(石井 謙一郎/週刊文春 2020年10月15日号)