『夫のちんぽが入らない』 が出た時にすぐ買って読んで、「他の男のちんぽは入るのに夫のちんぽだけが入らない」のが「おかしい」と批判されているのはそれこそ「おかしい」と思った。特定の相手には心の何かが膣にフタをしてしまい、いくら「ずん、ずん、ずんずずずん」と突いても入らない。手に取るようにわかる。感触までわかる、脳内で。


原作の『夫のちんぽが入らない』(こだま 著)

 しかし私がよかったのはそこだけで、ちんぽが入らない結果、夫婦がどうねじくれていってどう戻っていくのか、というあたりがキレイ事のオハナシみたいで、「この著者は男なのでは。男が完全な作り話で書いてるのでは」と感じ、実際著者の性別がどうかはともかく、自分の中ではそう考えると納得がいくのでそこで決着していた。

 が、『夫のちんぽが入らない』をテレビドラマで見たらびっくりした。主人公の久美子が大学入学で一人暮らしをはじめるアパートが、小説で読んでいたそのままにそこに現れた。いやそんなことよりも主人公の久美子だ。「あー、これが久美子だ、だんなのちんぽが入らないんだ、そのことをこの子が書いた話なんだ」

 著者男説がいきなり吹っ飛んだ私。

 この石橋菜津美って女優をいったいどこから探してきたのか。「小説をドラマ化した」んではなくて「ドラマが先、というよりドラマが事実」みたい。久美子が掲示板で知り合った人と実際に待ち合わせてみたら女だと思ってたのに男が来た。その男の「……ちょっとかんべんしてほしい」ような感じ(この俳優のセレクトも絶妙)、なのにずるずるラブホにいってやっちゃう(そしてちゃんとちんぽは入る)流れ。これ、文章で読まされたって到底納得できるものではない。でもドラマで見ていると、このぬるーい、感動も衝撃もなくずるずる流れていく感じが自分のことのようにわかってしまえる。

 セックスシーンもあり、久美子の乳首も出るが、ぜんぜんエロくない。「ずん、ずん、ずんずずずん(と入らない)」も「ずぶ、ずぶ(と出入りしている)」も、どちらも人間のめんどくささやこっけいさが浮き彫りになるばかりで、「ちんぽが入らないのがなんなんだ!」「ちんぽが入らないことに振り回されるのはバカバカしいぞ!」としみじみ感じてしまう。本で読んでなんの感銘も受けなかった部分が、ドラマになってこうまで迫ってくるとは。

 ただドラマでもひっかかる箇所はある。それは「ちんぽ」。このドラマ、途中で『おとちん』というタイトルに変更になった。でも作品内ではちんぽ連発。本でもドラマでも「ちんぽ」という言葉が出てくると、何かムリしてる気がするんだ。ここは自然に、「ちんこ」か、あるいは「ちんちん」だろう。

INFORMATION

『夫のちんぽが入らない』
フジテレビ系 月 26:55〜
https://www.fujitv.co.jp/b_hp/ottonochinpogahairanai/index.html

(青木 るえか/週刊文春 2021年4月1日号)