「M-1グランプリ2020」で優勝を果たして一躍人気となったマヂカルラブリーの野田クリスタル(34)。その彼がピン芸人時代から出演して独特の芸風を育んだインディーズライブ、通称“地下ライブ”が、いま注目を集めている。

 若き日の野田はどんな芸人だったのか、さらには当時の地下芸人たちの実態とは――。“地下時代”から野田が「師匠」とあがめ、自ら“地下ライブ”を主催する「モダンタイムス」のとしみつ(42)と川崎誠(42)に語ってもらった。(全3回の1回目/ #2 、 #3 を読む)


若手時代の野田クリスタル(中央)と「モダンタイムス」としみつ(左)、川崎誠(右) (モダンタイムス提供)

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初対面の野田は「誰も信用してない」って感じ

――お二人が野田クリスタルさんと出会ったのは、いつ頃ですか?

川崎 オレらが2年目、野田が1年目の15、16歳ぐらいだから2003年ですね。

としみつ 等々力のライブハウスだったと思います。当時、野田はまだ高校生。体型はガリガリで坊主頭。学生なのにヨレヨレのスーツを着て、ずっと周りを睨みつけてた(笑)。本当に「誰も信用してない」って感じでした。

 ビックリしたのが、高校の行事をすべて断って、地下ライブにきたんですよ。あいつはもう『学校へ行こう!』(TBS系)のお笑いの企画で優勝して、本来ならクラスの人気者のはずなのに、「オレはこっちのほうが面白いと思います」って感じで、誰も注目してない地下ライブのほうを選んでた。

――モダンタイムスのお二人は2005年のデビュー。野田さんと出会った2003年当時は、青森から上京して事務所のオーディションを受け続けていた頃ですね。当時のライブシーンってどんな感じだったんですか?

としみつ 1999年に『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)が終わって、お笑いブームが下降し始めた時期です。事務所に入れないとライブにも出られなかった。だから、主催者にクソ高い出演料を払って、なんとかライブに出るって時代でした。

川崎 リアルに1回2万円とか払って出てましたね。

としみつ そのうち「自分たちで小屋を借りてやったほうがノルマも安く済む」ってことがわかって。それが、地下ライブの始まりです。90年代は事務所ごとのライブか、事務所に出演オファーがあって出るのが普通。それ以外は、主催者にしかメリットのないようなライブだけだったんですよ。そこに、野田も顔を出していたんです。