アメリカでも日本のスタイルを貫いたPUFFY

 それ以前に日本から全米進出を試みたアーティストの多くが、日本での人気の源泉だった持ち味をかなぐり捨ててでも、アメリカ人と同じ土俵に上がろうとしては失敗してきたのに対し、PUFFYはあくまで日本でのスタイルをそのまま持ち込んだという点が違った。このことは、その後のPerfumeやBABYMETALなど後進のグループの海外展開にも少なからぬ影響を与えているのではないだろうか。

 北米ツアーの経験から、バンドとしての自信をつけた彼女たちは、フェスにも積極的に参加するようになった。2016年にはデビュー20周年にして紅白歌合戦にも初出場したが、ある時期からテレビにはほとんど出演しなくなり、レコーディングとライブを中心に活動を続けている。

 メガヒットを出したアーティストの宿命で、ライブなどでは往年のヒット曲ばかり求められ、PUFFYの2人もそれが嫌だった時期もある。だが、その後は《フェスやイベントで発揮されるヒット曲のキラーチューンっぷりに我ながらときめいたりと、こんなことでも心がほっこりした。人間とは違って劣化しない魅力的な曲に何度も救われた》と亜美が書くように(※6)、彼女たちにとって「アジアの純真」をはじめとするヒット曲は大きな財産となった。

いまでも色あせない“キラーチューン”がもつ力

 筆者も一昨年、横浜でのとあるイベントでPUFFYを観る機会があったが、40分ほどのステージでキラーチューンを次々と披露して会場を盛り上げる姿に、懐かしさとともに、曲がいまなお色褪せないどころかますます力を増しているように思え、ちょっと感動を覚えた。

《表立って露出してるのは二人だけど、これって部活みたいなもんだとおもってるんです。バンドメンバーやスタッフもみんな部員で、まさにその部活っていうのが一番正しい表現なんです。部活は県大会に向って頑張るじゃないですか。それですよ、パフィーは》とは15年前の由美の言葉だが(※5)、こうした意識も、合宿形態でのアルバム制作に始まり、アメリカでの“ドサ回り”を経て培われたものだろう。2人がデビューから25年を迎えてもなお新鮮さを保っているのも、PUFFYはスタッフも含めて1つのチームという意識で、どのステージも試合のごとく全力でのぞんでいるからに違いない。

 余談ながら、「アジアの純真」と同日には、西川貴教がソロプロジェクトであるT.M.Revolutionの1stシングル「独裁 -monopolize-」をリリースしている。西川は1999年、PUFFYの由美と結婚した。結婚生活は3年でピリオドが打たれるが、両者はその後もお互いの主催するフェスに出演するなど、アーティストとして交流を続けている。

※1 奥田民生『ラーメン カレー ミュージック』(KADOKAWA、2014年)
※2 PUFFY『PUFFYのまとめ〜NOおしゃれ,NO LIFE〜』(宝島社、2021年)
※3 『月刊カドカワ』1996年10月号
※4 『週刊文春』2000年7月6日号
※5 『文藝春秋』2006年1月号
※6 大貫亜美『たぬきが見ていた』(集英社、2021年)

(近藤 正高)