“陰キャドラマ”が増えた2つの理由

 ひとつはミステリー仕立てにできること。『モネ』の百音、『コント』の春斗と中浜、『とわ子』のとわ子……皆、一様に多くを語らない。だが、もともと暗かったわけではなく、学生時代は部活の中心になって張り切っていたりしたことが後になってわかる。彼らは皆、何かをきっかけにふさぎ込むようになったのである。

 その何かがドラマのフックになり、「いったい主人公たちに何があったのか?」「彼らは傷を癒やすことができるのか?」というように、手が届きそうで届かない謎が視聴者は気にかかり、それがドラマの牽引力になっている。大きな事件は起こらないけれど、主人公の心もようを解き明かすミステリー仕立てである。

 もうひとつは、リアリティー。あえて「かなしさ」を描く気概。長引く不況、ハラスメントが横行する社会、劣悪な労働環境……などによっておつかれ気味な現代人は、ドラマでは気楽でいたい。そのためリアルな描写を避ける傾向にある。家族や就職先でのパワハラなどを描いたドラマを見たくないという声は、SNSの発展によって可視化され増幅もする。

 そのため、一話完結で、犯罪者が捕まるミステリーや患者が必ず救われる医療ものが増えて、恋愛ものの場合は、キュンとなるシチュエーションものが人気。とにかく主要な登場人物が報われるものが好まれる、はずなのだが……。

「生きるかなしさ」に挑む作り手たち

 視聴者はしんどいものを見たくないけれど、作り手はそういうものを好んで書こうとする。かつて、脚本家・山田太一は1991年にアンソロジー『生きるかなしみ』を編み、そのまえがき「断念するということ」でこう書いた。

〈 そして私は、いま多くの日本人が何より目を向けるべきは人間の「生きるかなしさ」であると思っている。人間のはかなさ、無力を知ることだという気がしている。〉

 山田太一はドラマ界の神のような存在だから、彼の言う「生きるかなしさ」から目を逸らすべきではないと今なお、作り手は果敢に山田が書いてきたようなものに挑みたくなる気持ちもあるだろう。

『モネ』の場合、東日本大震災で被害を受けた気仙沼が舞台で、百音の悩みはそこに起因している。『コント』は中浜の妹も高校時代に野球部のマネージャー活動で燃え尽きてしまっているし、春斗の兄は引きこもりだった。『とわ子』では、恋をしないアセクシュアルな人物やヤングケアラーが登場した。どのドラマにも現代社会の問題が盛り込まれている。

 だが前述したように、書き手がどんなに望んでも、受け手が好まなければ成立し辛い。そこで、作り手は哀しみの活き造りは控えはじめた。かなしい主人公を描きながらも、前述したミステリー仕立てでエンタメ化してみたり、もしくは、かなしい人たちをどうやわらかに包み込むかに腐心しはじめているのである。