「自宅にSMAPが勢揃い」「レギュラー12本で移動はヘリ」芸人・森脇健児が明かした“バブル期バラエティ”の栄光と挫折 から続く

 いまや大阪芸人が席巻しているバラエティ界。その礎を築いた一人が、1990年代に大阪から破竹の勢いで東京に進出し、一世を風靡した芸人の森脇健児(54)だ。

 お笑い芸人のアイドル化が進む一方、ダウンタウンが台頭して、お笑い界の勢力図を一変させようとしていた当時、バラエティ番組では何が起こっていたのか。そんな時代に栄枯盛衰を体現した森脇に、関西と関東のバラエティ番組の違いから、当時の人気芸人たちとの関係まで、彼が肌で感じた芸能界について語ってもらった。(全2回の2回目/ #1を読む )


関西を拠点に活動する森脇健児 ©文藝春秋

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タモリ、三宅裕司に激怒された過去

――森脇さんは、1990年4月にスタートした『EXテレビ』(日本テレビ系)で本格的に東京へと進出しました。三宅裕司さんとともに、金曜レギュラーを担当しましたが、当時はどんな気持ちでしたか。

森脇 30年くらい前って、関西芸人は「負けたらいかんぜ、東京に」っていう気持ちが前面に出ていた。番組に呼ばれたら「大阪の芸人が一番や」って前に前に出る感じだったんです。三宅さんのような東京のコメディアンは、そんな関西芸人を一番嫌いますよね(笑)。ただ僕の場合、師匠(漫才師の若井はやと)が、番組を始める前に「お前は打たずに、ひたすら三宅さんにトスを上げて打ってもらえ」とアドバイスしてくれて、それを守ったら本当にうまくいきました。

 実際、番組が始まってみると、東京の番組は大阪と違って台本に忠実に進行していく。当時はまだ大阪から通っていましたから、東京までの2時間40分、新幹線の移動中にセリフを頭に叩き込んで、番組に臨みました。案の定、三宅さんは台本通りきっちり読み込まれていたんです。東京では、売れてるタレントとスタッフががっぷり四つに組んでやらないとダメなんだって痛感しました。それを最初に知れたのが大きかったですね。

――当初は東京の芸人さんから怒られることも多かったようですね。

森脇 焼肉屋ではタモリさんを怒らせてしまいました。『笑っていいとも!』(フジテレビ系、1992〜95年)で共演していた工藤兄弟と肉をとにかく早く焼いたんです。でも、あれは体育会系のノリやし、そんなんでタモリさんが怒る思いませんやん(笑)。“ええ肉”を次から次へと焼かれるわけやから、まぁ今、僕がやられたらブチギレますけどね。

 三宅さんやルー大柴さんがいらっしゃった『EXテレビ』の打ち上げでも怒られました。日テレ付近の居酒屋でやったんですけど、何か笑わせなあかん思って、僕が真っ裸になって登場する裸芸をやった時ですね。当時の関西芸人にはそういうノリがあったんですよ、(笑福亭)鶴瓶さんからの流れで。そしたら三宅さんにめちゃくちゃ怒られた(笑)。どちらも、東京にきて早いうちに勉強させてもらって本当に感謝しています。