それは遠き日の夏休みの思い出に浸るような、懐かしさと心地よさに満たされる体験だった。静岡県長泉町のベルナール・ビュフェ美術館で開かれている、「わしゃ、今が花よ 丸木スマ展」のことだ。

観る側もおおらかな気分で包む絵

 たとえば出品作のひとつ《せみが鳴く》は、描き手たる丸木スマが住んでいた家の庭に植えられた、ニガウリを画面いっぱいに描き出している。

 タネから芽が出て蔓を伸ばし、黄色い花を結んで青い実をつけ、それが割れるとオレンジ色のタネが顔をのぞかせる。ニガウリという生命のライフサイクルが、丸ごと一枚の絵のなかに描き出されている。そこに大きな時間の流れがあることを、ひしひしと感じる。


《せみが鳴く》1952年  原爆の図丸木美術館蔵

 タイトルにある「せみ」はどこにいるか? 画面に2匹だけ潜んでいるから、鳴き声に耳を澄ませながらゆっくり探してみてほしい。

《めし》も印象的だ。無心とはまさにこのこと。中央に置かれたエサにかぶりつく動物たちの表情にはよけいなものなど何もなく、ただ「生きる」ことに集中している潔さがある。

 この上なく無防備な肢体をさらけ出している4匹は、はてネズミかネコか、それともイヌか。判別しかねるけれど、観ていると種別なんてどうでもよくなってくる。何にせよ、みずからの生をまっとうせんとしている生きものであることには違いなく、その姿がひたすら愛おしい。

 そもそも動物たちが一心不乱にめしを食うこの空間が、どこなのかも一向にわからないし、画面の向きだっていかようにも変えられそう。いま観ているこの置き方で向きが合っているのかどうかも怪しい。

 丸木スマの絵に向かい合っていると、こまかいことなどどんどん気にならなくなってくる。きっと描き手が存分に楽しみながら筆を進めたのであろうことだけははっきりと伝わってくるので、それでじゅうぶん。自分がずいぶんおおらかな人間になれた気がして、うれしくなる。

70歳を過ぎて画才が爆発!

「描く歓び」のかたまりのような丸木スマは、70歳を過ぎるまで画家ではなかった。美術教育を受けたことがなかったのはもちろん、絵筆を握った経験すら皆無だったのである。