《他の役を演じる時は、その人がどんな性格だろうと関係ないし、自分とは切り離して考えられるのですが、本人役となるとそうはいきません。物事の受け止め方だったり、感情の湧き上がり方ひとつをとっても、『本当はこうじゃないんだけどな』と思う部分がどうしても出てきてしまう。だからこそ、あまり自分を追求しすぎないほうがいいと思って、フィクションの役柄を演じる時と同じ感覚を持つようにしていました》と、安達は撮影にのぞんだ際の心情を語っている(※5)。

『捨ててよ、安達さん。』の劇中、ある雑誌の連載企画でさまざまな「捨てられないモノ」を捨てていくことになった安達は、毎回、夢の中で人間の姿になって現れるモノたちと対話しながら、自らの人生をも顧みることになる。夢の中にはいつも正体不明の少女が登場し、彼女とやりとりを繰り広げた。少女役の川上凛子がまた達者で、元子役の安達と現役の子役の対決としても楽しめる。

 各話の内容や設定には彼女の実生活も多分に反映されており、たとえば、彼女の愛読書である小池真理子の小説『狂王の庭』や、30歳ぐらいから集め始めたというブライス人形も登場する。シリーズの終盤では、先述したような仕事が減った時期のことや、さらにはそのころに母親から言われたというある言葉を、安達が思い出して悩み苦しむ様子も描かれた。そうした場面を見ると、俳優が自らの過去を清算するには、やはり演技によって昇華するしかないのだと思わせる。

“いい意味での気持ち悪さ”を醸し出している

 先ごろ、安達がゲスト出演したテレビ番組(※3)で、司会役のマツコ・デラックスが彼女について「ただの“40歳を迎えるきれいな人”だけじゃ済まされない“いい意味での気持ち悪さ”」を醸し出しているところが、若い世代には新鮮に感じられるのだろうと分析していた。「気持ち悪さ」と言うとちょっと語弊があるが、ようするにある種の違和感ということらしい。マツコに言わせると、安達祐実の違和感とは、さまざまな人生経験を積みながらも、絶対に失われない少女性を自分のなかに同居させていることだという。

 ここ10年ほど、安達は過去の自分のイメージを捨て去ることに全力を注いできたわけだが、マツコ・デラックスが指摘するとおり、それでもなお少女性は残り、彼女の魅力として注目されている。そう考えると、『捨ててよ、安達さん。』の最終回で、安達がさまざまなものを捨ててきた末に口にする「あーあ、もう十分捨てたよ、私は。もう捨てないよ!」というセリフは、今後に向けての決意表明とも解釈できる。過去を捨て去って再スタートを切った彼女は、これから俳優としてどんな境地を切り拓いていくのだろうか。

※1 『婦人公論』2013年11月22日号
※2 『週刊新潮』2014年12月25日号
※3 日本テレビ系『マツコ会議』2021年9月4日放送分
※4 『ダ・ヴィンチ』2014年12月号
※5 『an・an』2020年4月15日号
このほか、安達祐実『YUMI ADACHI A to Z』(双葉社、2019年)などを参照しました

(近藤 正高)