「中森家の戸籍を抜けたい」明菜の自殺未遂から2年後も燻る“近藤真彦との事件”…最も信頼した男性の出現と、最愛の母の死 から続く

 ドラマで幕を開けた98年頃、中森明菜のレコーディング現場には必ずお酒が用意されていた。ウォッカ、しかも彼女が指定するスミノフ50度の青ラベル。これを炭酸で割って、スクイーザーでレモンを絞り、ウォッカ・リッキーを作る。彼女はそれを飲みながら、レコーディングの準備に入るが、唄う準備は整ってはいない。

 持参した小さなラジカセを持ってブースに籠り、30分から40分かけて曲を聴く。そして、スタッフに「唄う」と一声掛けると、4回か5回唄ううちに、“明菜節”になっていくのだ。(「文藝春秋」2021年12月号より、全2回の2回目/ #7 から続く)

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 当時を知る元マネージャーが明かす。

「経験を積んで来たといっても、やはりレコーディングに向かう怖さのようなものがあったのでしょうか。とくに1回目はお酒の力を借りないとダメでしたが、お酒は3杯までと決めていました。本人もそれ以上飲むと酔っ払ってくることは自覚していましたし、周りも3杯目になると、そろそろどうやって帰らせようかと思い始めていましたね」

 そして完成したガウス移籍第一弾のアルバム「SPOON」を引っ提げ、98年6月から1カ月をかけて全国14カ所15公演のツアーがスタートした。

 ところが、このツアー中、思わぬハプニングが発生する。

「このツアーは老舗プロモーターで、キョードーグループの創立者の一人、内野二朗さんの会社が全面的にサポートしていました。明菜さんも乗り気で、朝は誰よりも早く起き、いつ寝ているのかと思うほどでした。コンサートの最後の見せ場で、『冷たい月』の主題歌だった『帰省〜Never Forget〜』という曲を唄っていたのですが、この曲は高い音域のところはかなり高い。レコーディングの時のキーでは、正直キツそうでしたが、『ファンが楽しみにしているからオリジナルのキーで行きたい』とギリギリまで粘っていました。ツアーは順調でしたが、ある時、急遽予定されていた会場が変更されたことがあったのです」(同前)

「明菜がそこでやるならウチのタレントは使わせない」

 荷物を抱えて何度も移動を強いられるうち、明菜も「なんでこんなスケジュールになっているの」と苛立ち始めた。

 すると、キョードー側からは、「ジャニーズ事務所のメリー(喜多川)さんから電話があったみたいで。明菜がそこでやるならウチのタレントは使わせないと言っている」と説明があったという。

「それを聞いた私も耳を疑いました。自殺未遂から10年が経とうとしているのにそんなことがあるのかな、と。明菜さんも急な変更に苛立っていましたが、キョードーの説明を伝えるとひと言、『ああ、私嫌われているからな』。それで終わりでした」(同前)