「酒乱の父が家で暴れて…私が母と弟を守らなきゃ」山田まりや(42)が15歳の若さでグラビアデビューを決めた“複雑な事情” から続く

 1996年、15歳で芸能界デビューを果たした、タレントの山田まりやさん(42)。デビュー後すぐに第1回ミスヤングマガジングランプリを受賞し、グラビアアイドルとして一躍人気に。さらに、軽快なトークと天真爛漫なキャラクターでバラエティ番組でも活躍する。

 しかし山田さんは、23歳のときにハードスケジュールが原因で病に倒れてしまう。1990年代のグラビア全盛期といわれた時代に、いったい彼女はどれだけ多忙な生活を送っていたのだろうか。そして、山田さんを襲った病の正体とは――。(全3回の2回目/ 1回目 から続く)


山田まりやさん

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毎朝フラフラの状態で仕事に行っていた

――1996年に15歳でデビューしてから、怒涛の勢いで活躍の場を広げていきました。

山田まりやさん(以下、山田) 1997年には、『スーパージョッキー』(日本テレビ系)にレギュラー出演するようになりました。同じ年には、毎週土曜日の夕方に放送されていた特撮ドラマ『ウルトラマンダイナ』(TBS系)にも出るようになっていましたね。

 1999年には、遠野なぎこちゃんの親友役として、NHKの朝ドラ『すずらん』にも出演できたんです。ありがたいことに、グラビアやバラエティだけでなく、演技を評価していただける機会も増えていきました。

――もともと芸能界に興味がなかった少女が、一気にスター街道を駆け上がっていく。体や気持ちは、その状況に追いついていたのでしょうか。

山田 もともと体はそんなに丈夫なほうじゃないし、低血圧でもあったから、毎朝フラフラの状態で仕事に行ってました。性格的にも周りに気を遣ってしまうほうだったので、現場が明るくないと嫌だったんです。だから常に喋っていて、余計にカロリーを消費していましたね。

――かなりハードなスケジュールだったのでは。

山田 一番忙しいときは、レギュラー番組が11本くらいありましたね。テレビの収録を午前中に1本、午後に2本もこなして、グラビア撮影は「この時間から撮るの?」みたいなタイミングでやっていました。

 時間がなさすぎて、ヘリコプターで現場に移動させられたこともありましたよ。でも、どうやらそれは、野田(義治イエローキャブ社長・当時)がダブルブッキングしたせいだったみたい(笑)。