任天堂の第4代社長としても有名な故・岩田聡氏もHAL研究所に所属しており、同作プロトタイプのプログラムを手掛けていた。桜井氏と岩田氏、どちらが欠けていても『スマブラ』は生まれなかっただろう。

 プロトタイプ段階の名称は『格闘ゲーム竜王』。HAL研究所のある竜王町から取られたもので、当初は任天堂のキャラクターを使うことを考えていなかったという。しかし、対戦アクションゲームには魅力的なキャラクターが必要で、任天堂のキャラクターを使用するアイデアが浮かぶ。

 そこで岩田氏は、マリオの生みの親として有名な宮本茂氏に『スマブラ』の話を持ちかける。しかし、最初はNGを出されたという。単純にマリオらしさが保たれているかどうかも重要だし、もしそこに問題がなくともOKを出してしまえば、今後のマリオは『スマブラ』で作られたものをすべて引き継がなければならない。ゆえに宮本氏は慎重にならざるを得なかったそうだ。

 ならば実際に作りあげたもので納得してもらおうと、岩田氏はNGが出たことをあえて桜井氏に伏せたまま制作を続けた。そのままプレゼン用のテストバージョンが開発され、改めて宮本氏のもとに提出される。宮本氏が実際にゲームを遊んでみると、「ああ、これ、遊べるね。悪くないね」と納得できるほどおもしろいゲームに仕上がっており、ついにOKが出たという。

すぐには大成功といかなかった

 こうして『スマブラ』の企画は正式に動き出したものの、すぐには大成功とはいかなかった。そもそも考えてみてほしいのだが、「マリオがピカチュウを殴る」というのはありえるだろうか? 容易にファンからの反発が想像できるのに、『スマブラ』ではそれをやらねばならないのだ。

 また、いまでこそ『スマブラ』は定番のパーティーゲームであり、かつプロプレイヤーも存在する対戦アクションゲームとなっているが、初代が出る前はその奥深さがゲーム雑誌などであまり評価されなかったという。岩田氏によれば、当時のゲーム業界には丸いものでなければという呪縛のようなものがあり、それと比較すると『スマブラ』は作家のこだわりが出た、だいぶ尖ったゲームだったようだ。