「包丁持ってきてくれ! 死にたい、邪魔になるけん、死にたい!」

 髪を振り乱し、泣きながら87歳の妻が叫ぶ。その言葉に対し、95歳の夫は「ばかたれ! 何をぬかすんか!」と怒鳴る。認知症を患った妻を、献身的に支えてきた夫。この老夫婦の壮絶な修羅場を撮影しているのは、実の娘である。


信友直子監督による撮影風景 ©「ぼけますから、よろしくお願いします。」製作・配給委員会

「これこそ、映画にすべきだ」

『ぼけますから、よろしくお願いします。』

 広島県呉市に住む、どこにでもありそうな家族の日々を記録したドキュメンタリー映画が、異例のヒットを続けている。2018年11月に都内1館でスタートしたこの映画は、2019年2月末現在で全国70館を超える劇場での上映が決定している。観客動員数は、1万人を超えれば大ヒットというドキュメンタリー映画にもかかわらず、すでに7万人を超えた。

 監督は、テレビディレクター出身の信友直子。私は、この映画のプロデューサーを務めている。

 私はテレビのドキュメンタリー番組の制作を中心に活動しながら、ここ数年は監督として2本、プロデューサーとして2本のドキュメンタリー映画を手掛けてきた。どれも作品としては好きで、内容には自信を持って世に送り出してはいたが、興行的な現実は厳しく、リクープ(費用を回収)できたのは1本だけだった。私は映像製作会社を経営しているのだが、会社の経理担当の妻から「頼むからもう映画はやらないで」と泣き怒りされていた。

 そんな頃に、古くからの仲間が作ったBSフジのドキュメンタリー番組『ぼけますから よろしくお願いします。』を観たのだ。観おわった瞬間に「これこそ、映画にすべきだ」と直感的に思った。なぜそう考えたのか……。

日本のドキュメンタリー映画の現実

 前作の『ラーメンヘッズ』という映画の公開に際し、こんな経験があった。この映画は、日本のクレイジーなまでのラーメン文化を記録したドキュメンタリーで、多くの海外映画祭に招かれ高い評価を受け、全米30都市での劇場公開にも成功した。ところが、日本の興行関係者からの評判はイマイチだった。ある配給関係者にはこう言われた。

「面白いけど、いまのドキュメンタリー映画のトレンドに合っていない。この映画は、平日にシニアのお客さんを呼べないよ……」

 日本のドキュメンタリー映画業界は、そもそも劇映画と比べると極めてパイが小さい。その中で、沖縄問題や原発、差別といった社会・政治問題を扱った映画が、伝統的に観客を集めてきた。いずれも観客の主流はシニア層だ。さらに、2017年には東海テレビ製作の『人生フルーツ』の大ヒットがあった。この作品もテレビ放送から映画化したもので、愛知県に住む老夫婦のエコロジカルな淡々とした日常が、多くのシニア層を映画館に引き寄せた。