私は2011年から東北の被災地取材を続けてきました。この10年間で被災地が復興したとは思えません。復興とは、その字義からいって、以前の状態よりもより豊かになることを表します。

 しかし、今回の五輪が、東北の復興に果たした役割は何かあったでしょうか。オリンピック・パラリンピック競技の一部を被災地で開催するそうですが、効果は限定的です。いっそ、開会式を行う国立競技場を被災地に作った方が復興のためになったのではないでしょうか。招致に「復興」という言葉を使ったからには、その責任として何らかの成果を出していただきたいところですが、残念ながら見る影もないというのが現実です。

アスリートが政治に最大限利用されてしまっている

 政府はいまも着実に五輪開催に向けて歩みを進めている。正直に言って、オリンピックは、政治の道具にされているように見えます。そして、そんな状況で最大限利用されてしまっているのは、他でもないアスリートです。

 白血病で闘病していた水泳の池江璃花子選手が4月4日、競泳の日本選手権女子100メートルバタフライの決勝で優勝しました。その結果、東京オリンピックのメドレーリレーの派遣標準記録を突破し、代表に内定しました。そのことを伝えるメディアは「池江、五輪内定 奇跡の復活」と絶賛しました。

 もちろん池江選手の復帰は喜ばしいことです。しかし、新聞のスポーツ面では「五輪内定」が大々的に報じられる一方、政治面では「五輪中止」を懸念する記事が載せられる。このアンビバレントな状況を我々はどう解釈すればいいのか。

 国の宝、世界の宝であるアスリート達が、4年に1度の大舞台のために、真剣に練習に打ち込んできた姿を想像すると、オリンピックに出られなくなる絶望は計り知れません。しかし、繰り返し述べるようにスポーツは健全な環境で行うべきもの。安全を担保できないのであれば、いくら選手本人が「やりたい」と切望したとしても、制止するのが政府やJOC、各競技団体の仕事であり責任だと思います。間違っても、大会参加の是非を選手個人の判断にゆだねるようなことがあってはなりません。それは「政治」が決断すべきことです。