母親が語り始めた「和也の半生」

 だが手記は未完成のまま、起こした事件や半生を俯瞰で見て整理しきれないまま裁判は進み、死刑が確定。彼の半生の全貌を知りたいと考え、ツテを辿り母親・聖子(仮名、53)と接触して内容の補強をお願いすると、「それが和也の望みなら」とあっさり承諾し、概ね半生は完成した。批判されることも承知の上だという。

 彼が知って欲しかったことは何か。惨憺たる家庭環境である。

 和也は1988年、栃木県の山間部で生まれた。母親・聖子は21歳。年子の姉のほか、父親の連れ子もいたという。

 しかし、父親の浮気と暴力で、約2年で両親は離婚。聖子は着の身着のまま姉と和也を連れて水商売の寮に逃げ込んだ。

 聖子の祖母は、粗暴な父親について、後に和也にこう話したという。

「実の父はろくに家に金を入れず、定職にもつかずにパチンコ三昧で、母から金をせびっていた。その上、実父が前の嫁に産ませた男児の世話も母にさせていた。

 成人式で着るはずだった晴れ着も、実父が遊ぶ金欲しさに無断で質屋に売り、『お前の服、1万ほどにしかならなかったぞ』と吐き捨て、結局、レンタル品で成人式に行ったらしい」

 若くして母子家庭になるなどいまどき珍しいことではないが、聖子は女手だけの子育てに限界を感じていた。それでも前述の通り、和也の手記には家族3人で遊園地に遊びに行くなど楽しい思い出ばかりが綴られている。彼は、当時の困窮した母の状況には気づいていなかったようだ。

 だが、ほどなく聖子は再婚して平穏な生活を手にする。前夫と真逆の、優しく面倒見がいい男。家族で夕食を共にし、お風呂に入って川の字になって寝た。絵に描いたような理想の家族像である。

「決心して和也を施設に預けました」

 家族に亀裂が生じたのは、新たな生活を手に入れた2年後のことである。

「訪問販売でミシンや布団を1000万円分ぐらい買っちゃったんです、旦那さんに黙って。で、それがバレて愛想を尽かされちゃって」(聖子)

 2度目の離婚。再び水商売をする母親について回る生活になったが、1回目の離婚で片親の限界を感じていた彼女のこと、その生活も長くは続かない。和也4歳のときである。

「決心して和也を施設に預けました」(同)

 夫の収入に頼らなくてもなんとかなるのでは。子供の笑顔を励みに頑張れるのでは。なぜ聖子は和也を施設に預けたのか。

「ひとりで生活するのと、3人で生活するのは違うし。毎回炊事するわけじゃないから。コンビニで済ますみたいな感じだったので、やっぱりね、私には無理だったんですよ、きっと」(同)

 息子を手放した母。多額の借金を抱えた聖子自身が生きるための選択だろう。