手紙を無視し続けた母親から死刑確定後になって初めて手紙が来た。和也が複雑な感情下にいることは想像に難くない。

「(書くのが)苦手だから。でも、これはちょっと書かないといけないなと思って。メールだったらすぐ送れたんですけどね」

 彼女は冗談とも本気ともつかない理由を述べた。本当にそれだけなのだろうか。以前に渡していた和也が綴った160枚の手記も、読むのが苦手で「全部は読んでいない」という。

「何かしてあげたいって思いますよね、気持ちだけですけど。何もできないから、私は。私の知ってる和也は、いつも笑ってましたからね。イジメのことも(後になって和也から)聞かされましたが、私にはそういう素振りを見せなかったこともあって。だから(和也のSOSに)気づけなかったこともあって」

事件の一報を聞いて「まず自分を責めた」

 改めて聞いた。事件の一報を聞いたときはどうだったのか。

「間違いじゃないかって。仕事が手につかない、うん。まず自分を責めたっていうか。手紙で本人にも伝えたんですが、電話がかかってきたときは、『元気だよ。ここで暮らしているよ』って話していて……」

 聖子が話す「電話がかかってきたとき」とは、彼女の手紙に記されたこの一文だ。改めて引用したい。

〈和也君。話は違いますが、以前、実家に電話をくれた時、和也の声が聞けてよかった。又、ばあちゃんと和也と3人で実家で住めたら良いのに、との、ばあちゃんの言葉が忘れられず、毎日、涙する。もう少し和也と一緒に過ごせると良いなあ、なんて思ったり、色々、後悔しています〉

 電話があった当時、聖子は和也と住んでいた群馬県内の街を離れ、福島の実家に帰っていた。聖子が当時の状況を回顧する。

「元はと言えば、和也は高校を卒業後、私の姉(義姉)と反りが合わなくて(一緒に暮らしていた)福島の実家を出ちゃった。だから(和也を群馬から実家に)連れ戻すってことが出来なかったんですね。それが出来てたら良かったのにな、って」

 和也は、聖子の実家を飛び出した。背景には義姉との確執があった。だから親の介護で聖子がひとり実家に戻ったときも、和也を呼び寄せることはできなかったと説明した。

 なぜ和也の「助けて」サインに気づけなかったのか。息子が心配なら、塗装業から逃げ出すなどしたその摩耗した生活と心を見過ごすことなど出来るはずがない。

「大丈夫、大丈夫って言うから、こっちも安心しちゃって」

 聖子は目に涙を浮かべながらも終始、淡々と話した。雑談にも応じてときおり笑った。同じ質問を繰り返しても言葉を選ぶことはない。彼女の言葉に嘘はないのだろう。

 別れ際、彼女は同行した友人の分もと2本のアクエリアスのペットボトルを渡してくれた。実家周辺はもちろん、駅前にも自販機すらない。わざわざコンビニまで車を走らせてくれたのだろうか。

 だから思う。なぜこうした気遣いをもっと息子にしてやれなかったのか。

 3月末現在、和也から聖子への返信はない。この事実が彼の胸の内を雄弁に物語る。(文中敬称略)

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(高木 瑞穂/Webオリジナル(特集班))