“難攻不落の名城”ゆえに…熊本城の復旧にまだ17年も必要なワケ《加藤清正vs最新技術》 から続く

 熊本城天守閣の修復工事が終わり、4月26日に内部公開が再開される。だが、本来は20年間にわたる復旧工事の期間中、最終盤になるまで観光客が近づけないはずだった。天守閣の修復が完了しても、城内では他の復旧工事が続けられるので、とても近寄れるような状態ではないのである。

 それなのに、なぜ公開できるのか。

 秘密は「特別見学通路」だ。これを設けたので、天守閣に行けるようになった。


特別見学通路には、石垣が重なった向こうに天守閣が見えるスポットがある

 地味でなんの変哲もない名前だが、現代技術の粋を集めて造った“橋”だ。戦国武将の加藤清正が心血を注いで築城し、難攻不落とされた城の仕掛けを一気に飛び越える構造物である。(全2回の2回目/ 前編から続く )

名城ゆえに被害が大きかった

 城の見学に訪れた時、門を入ってから天守閣に着くまでの道程が意外に大変だったという経験はないだろうか。坂があるだけでなく、石垣で迷路のように区切られて見通せず……。これらは城を防衛するための工夫だ。自軍の大将が陣取る天守閣に、敵を到達させないようにしているのである。

 名城とされた熊本城もそうだった。

 こうした城の構造が、地震では裏目に出た。熊本城の石垣は全体の1割が崩落し、膨らんだり緩んだりしたところも含めると3割が被災した。櫓(やぐら)や門が倒壊した場所もある。そうでなくても通路が狭く区切られているのに、これでは歩くことさえままならない。今もまだ、崩れた石で埋まっている場所もある。

 観光客がけがをしなかったのは、奇跡と言っていいほどだった。2016年4月14日の前震(熊本市は震度6弱)と同16日の本震(同震度6強)が、共に深夜から未明にかけての発災だったのが幸いした。城には警備員しかいなかった。

完全にふさがれていた“唯一の道”

 今年3月まで熊本市役所の熊本城総合事務所に配属され、城の復旧を担当してきた城戸秀一さん(46)は、「あまりにも酷く壊れていました。車も通れない。どうやって直したらいいのか」と頭を抱えた。

 熊本城内の地盤は3層の高さに分かれる。堀の役割を果たしている坪井川を渡ってすぐの第1層。そこから1段あがった第2層。さらに天守閣がある第3層である。

 これらを貫いて車で天守閣にアクセスできるのは、なだらかな行幸(みゆき)坂しかない。1902(明治35)年、明治天皇が訪れた際、深い場所では26尺(約8メートル)もの盛り土をして、急坂を馬車で通れるようにした。天皇行幸(ぎょうこう)を機に、もとは南坂と呼ばれていたのを、行幸坂に変更した。

 その行幸坂は、途中の南大手門の石垣が崩壊して完全にふさがれていた。