現代の「魔女裁判」の様相を呈するSNS

 常日頃からSNSには憎悪のつぶてが飛び交っています。私は、男性からも女性からも、右翼・左翼も関係なく、それはもうありとあらゆる方面から石を投げられているからよくわかります。自分と価値観が違う、自分の望むような意見を言わない人間に対しては、外見、人格、女であること、全てが許せなくなってくるようなのですね。エッセイに書いた、過去の性被害について名誉を毀損するような書き込みも目にします。これは左右問わずです。

 思い込みの恐ろしさってすごいなと思うのは、伊藤詩織さんの性被害告発を応援している人が、私は彼女を応援する立場を明確にしているにもかかわらず、彼女を誹謗中傷したとデマを流し続けています。私が書いた詩織さんの本の推薦文など、ちょっとネットを検索して確認すればわかることですが、それもせず、叩かれているからには何らかの根拠があるだろうと思い込むのが、デマが流通する原因です。いじめは被害者に原因があるという論法と一緒ですね。

 では、かつて民衆が加担した魔女裁判には根拠があったのでしょうか。病人にハーブ療法をしたから? 生意気だったから? ひょっとすると有力者の求めを拒んだからかもしれませんね。時代が変わっても人間というのはたいして変わらない。そこにSNSというツールが登場したことで、事態はより加速しています。

 発言内容より容姿や話し方をあげつらう人が、大真面目に性差別反対などと言っているのをみると、おかしみを感じます。何かあるたび、とある受賞記念パーティーにおける私のアルマーニのドレス姿のスナップ写真を貼り付けてくる人々もいるのですが、露出の多さを誹謗すれば傷つくだろうと思っているところが面白い。好きな服でなければ自分で買う訳がないですよね(笑)。

「ふしだらだ」と言うのは、そもそも女性に自己決定権を認めていないことと同義。キャンセルカルチャー以前に、自分自身の言動が破綻している人がほとんどなのです。

 私は基本的にはエゴサーチ(自分自身を検索すること)をしませんし、ツイッターも認証アカウントですから、通知されるコメントは私がフォローしている人のみ。だから自分の炎上にしばらく気付かないときもありますし、長年の慣れもあってか大した影響はありません。しかし普通の感覚をもつ人間であれば、一瞬たりともスマホの通知が鳴りやまないという状況だけで精神的に参ってしまうはずです。