「モラルタフネス」を持て

 キャンセルカルチャーが日本に与える影響は、非常にいびつなものになるでしょう。日本社会には、「臭いものには早く蓋をしたい」という傾向がある。なにか論議を呼ぶ出来事が起きても、瞬間的に盛り上がってすぐに忘れ去られてしまうし、本当に波風を立てることは望まれません。周囲を見渡し問題がないことを確認してから意見を言う風潮があり、真の議論はなかなかできない。

 本家本元のアメリカも、キャンセルカルチャーの巨大な影響力の前に立ちすくんでいます。しかし、アメリカでは、美徳とされる性質の一つに、「モラルタフネス」がある。「自身の倫理観を伴う強さがあるかどうか」ということですが、つまり物事に対してきちんと善悪の判断をくだせるかどうか、周囲に流されず、責任を持って判断をくだせるかどうかということを指します。

 これまで日本の教育では、自分の頭で善悪を判断するやり方は教えられてこなかった。「みんなが『いい』ということがいいことで、みんなが『悪い』ということが悪いこと」だからです。善悪の基準はお上でも神様でも自分でもなく、「みんな」。

 日本のワイドショーはこれを体現していて、非常に興味深い。世の雰囲気に忖度して落としどころを提示しあう風潮は、キャンセルカルチャーを助長してしまうでしょう。

 日本の政治家もメディアも、このモラルタフネスが欠けている。自らを支える主張の骨がないから、状況依存的に世論に応じ、右顧左眄しています。間違いを恐れ、自分の意見を言えない、だから責任も持たない。そんな「だれからも批判されないこと」が、日本のエリートの条件になっています。

 私は、キャンセルカルチャーが過熱することに強い危機感を覚えます。こうした「日本風キャンセルカルチャー」によって生み出されるのは、誰もがあるべき“正解”しか話せない、その正解を支える論理すら存在しない、つまらなくて危険な社会です。

 嘘つきで、空気に流されて「正しい人」を演じることのできる人が世の中に溢れ返るまで、この風潮は止まらないように思います。

(三浦 瑠麗/文藝春秋 2021年10月号)