《大手新聞のコロナ無責任報道を徹底検証》紙面では非難しながら、菅首相に“手緩い質問”をした社とは? から続く

 コロナ禍がもたらす世間の不安感や徒労感と逆行した紙面づくりが罪悪でなくて何であろう。

 それは何よりも、社論を代表する無署名の社説に明らかだ。

「踏み絵」のような紙面になった朝日新聞

 この間注目を集めた記事を一本選ぶならやはり、東京五輪の中止を菅首相に敢然として求めた朝日の5月26日付社説になるだろう。

 ただし、朝日は五輪の公式スポンサーから降りず、大会が始まると旧態依然とした「お祭り報道」を続けた。五輪の「光と影」の両方を報じると紙面で誓いはしたが、さらに感染拡大リスクが否めぬ夏の甲子園を主催者として中止にしなかった。感染者が出てもその高校の「辞退」を報道するだけで、主催者としての「判断」を明確に示そうとしなかった。同じことが五輪で起きたなら、中止を求めずに済ませたはずもない。

 朝日はこの間、社長会見をはじめ普段は政権に迫る説明責任を果たしていない。「報道と営業」を使い分けるダブルスタンダード批判が先行したのも無理はなかろう。


五輪開催で揺れた東京都庁

 ただ、危ぶむべきは、紙面に濃厚に漂う「踏み絵」を迫ってやまない一種の選別意識ではないか。

 社説に先立って14日に掲載された「山腰修三のメディア私評」が象徴的だ。これは慶応大教授が連載コラムで「五輪開催の是非 社説は立場示せ」と朝日に踏み絵を迫り、中止要求社説が生まれる伏線となったが、そもそもの理屈がまた、有無を言わせぬものだった。

 開催の是非を示さないのは「自らの言論で現状を打開する意志を放棄した『既成事実への屈伏』にほかならない」と強い調子で曖昧な態度を責め、さらに「『不作為』を続ける主流メディアは、大会開催の担い手と同じ『向こう側』の陣営と見なされてもおかしくない」と事実上、中止の社論を掲げるよう迫った。共産党の機関紙「赤旗」が評したようにまさしく「警告」だった。