解剖台に仰向けに横たわった遺体の周りには、法医学者と解剖助手、記録係、内臓などを撮影する写真係、警察の検視官、さらに遺体を解剖する際に血液などを拭き取るタオルを次々と洗う助手もいる。こうした人たちがチームになって解剖を行なっていく。

腐敗臭が漂う解剖室

 腐敗したその遺体は、皮膚がかなり変色している。

 腐敗とは、バクテリアによる組織の破壊である。青緑っぽい色になっている部分もある。皮膚の一部は腐敗して火傷をしたときに1枚うっすらと皮がめくれたような状態になっている。また仰向けで死んでいたことから、背中を見ると、広く死斑が確認できた。背中に血液が溜まるために、青黒くなるのだ。

 前面から体を開き、内臓を確認していく。なんとも言えない生臭さのある腐敗臭が漂う。ただ解剖室にいる誰も気にするそぶりはない。腐敗が進んでいるために、内臓は溶解が起きていて、臓器が確認しづらくなっている。法医学者からも、「うーん、臓器が溶けていてわかりづらい」との声が漏れる。

 そうしていると、電動ノコギリの音が聞こえた。助手が頭を開けるために頭蓋骨を削っているのだ。頭蓋骨を外して確認すると脳も溶けかけていた。すぐにでも崩れてしまいそうな脳を取り出し、スライスしながら調べるが、脳内に出血した形跡は確認できなかった。脳梗塞の既往例があったが、脳に死因は見つけられない。

 あっという間に、ほとんどの臓器が取り出された。脳には致命傷はないと見たこの法医学者が次に注目したのは胃である。胃の内容物と消化具合で少なくとも死のタイミングはわかるからだ。

死因を特定できないまま、解剖は終了

 プラスチック容器の上で、食道部分を左手で持ちながら、胃袋を切ると内容物がボトボトと落ちる。遺体が腐敗しているため、胃の内容物も異様な臭いを発している。胃をさらにきれいに開いて内側にも異状がないかを調べる。

 内容物は裏ごし器ですくって、水をゆっくりと垂らしながら見ていく。すると、まだ消化し切っていない玉ねぎやにんじんなどが確認できた。実は検視官の説明では、遺体が発見された際、部屋には野菜の煮物などを食べた形跡が残されていた。

 執刀の法医学者は、「胃の内容物の消化具合を考えると、死亡したのは煮物を食べた後3時間以内だと考えられる」と述べた。

 ここからどんなことがわかるのか。

 人は死亡するとその瞬間に胃の働きが止まる。ただ脳梗塞などを起こして意識がなくなってゆっくり死亡していく場合、胃の働きはすぐには止まらないため、数時間、消化が続いている可能性が高い。

 仮にこの男性が脳梗塞などで死亡した場合は、ここまで胃の内容物が残っていないと考えられた。つまり、死因は心筋梗塞などの急死だった可能性があるという。

 死因を特定できないまま、解剖は終了した。このあとは、さまざまな薬毒物検査で、死因につながるヒントはないかを調べることになる。臓器の一部や血液などを採取して、ホルマリンで状態を固定して保管した。