出典:『文藝春秋』2017年11月号

 東京オリンピックが開催された1964年に大ヒットした井沢八郎の『あゝ上野駅』。この曲の歌詞に、「国なまり」という言葉が出てくる。

 集団就職で上京した“俺(おい)ら”が、上野駅に降り立つ群衆の中に、懐かしい方言を聞く。

 ♪配達帰りの自転車をとめて聞いてる国なまり

 当時、「国なまり」といえば、方言だった。しかし、あれから50年以上が経ち、現代の私たちが耳にする“国なまり”といえば、コンビニ、居酒屋などで耳にする、

「イラッシャイマセ」

 かもしれない。外国人たちが喋る出身国独特のナマリである。

 日本に住む外国人は、増加の一途を辿っている。東京オリンピックの年には60万人程度だった在留外国人の数は、2015年には、223万人と4倍近くになっている。

 国籍・地域別にみると、中国(約67万人)、韓国・朝鮮(約49万人)、フィリピン(約23万人)がトップ3である。在留外国人数が一番多い自治体はやはり東京だ。全体の約21%を占めている。

 年々増加し続ける外国人数とは裏腹に、日本は少子高齢化の波に晒されている。若い労働力を外国人に頼らざるを得ない状況は日本最大の都市・東京でも確実に進行している。

 そんな中、労働力としてのフィリピン人に注目が集まっている。彼らは、少子高齢化社会の“弱点”を支える仕事に適性があるからだ。その代表格が「家事サポート」「看護」「介護」。奇しくも3職種とも頭文字が「K」だが、いずれも巷では3K(きつい、汚い、給料が安い)などと敬遠されることが多い。しかし母国を離れ、東京という大都会でこれらの仕事に打ち込むフィリピン人たちは少なくない。これらの職業は接客業とは異なり、時にプライバシーに入り込み、スキンシップを伴う。

 彼らは何を想い、働いているのだろう。それぞれの現場を歩いた。

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業務中に地震が起きた

 フィリピンはこれまで、国策として国民という労働力を海外に輸出してきた。人口の1割に相当する約1000万人が海外で働くが、これが貴重な外貨獲得要員となっている。

 海外で新規に雇用されたフィリピン人の職種(船員を除く)に関するデータ(2015年、フィリピン海外雇用庁)を見ると、1位は「家政婦(メイド)」である。総数(51万人)の約4割を占める。


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 2004年から定住フィリピン人を活用している家事代行事業を営む株式会社シェヴ(本社・東京都渋谷区)の柳基善(ユウキソン)代表によれば、

「メイドはフィリピンという世界の共通認識がある。英語が堪能でハウスキーピングが上手だからです」

 だが、日本の場合、現在家政婦として働くことができるのは、大使館員から直接雇用される場合か日本人の配偶者がいる場合などが大半だ。

 シェヴには約200人のスタッフがおり、うち100人が外国人で、9割以上がフィリピン人である。

 その1人、スーザン・イザキさん(60)は開放的な印象の女性だ。87年に来日し、日本料理の板前を生業とする日本人男性と結婚した。

 2人の子育てが一段落したあと、リサイクルショップで勤務したり、東京ディズニーリゾートのホテルでベッドメイクなどをしていた。シェヴの求人を知ったのは、07年、英字新聞の広告だった。