続けて、

「雅子妃はお祖母さまの江頭寿々子さんがお亡くなりになったことにもショックを受けられたそうです。小和田家へのご弔問も、当初伝えられた時間に記者が待ち受けていたところ、直前になって『中止』と連絡された。東宮職のミスで記者に誤解を与えてしまったのです。雅子妃はその夜にひっそりと弔問に出かけられました。翌日の皇太子殿下と愛子さまと一緒の弔問も、雅子妃のご意思とは別に、取材のカメラはもちろん、ペン取材まで5人に絞ってくれと通達されました。こうした東宮の事情が国民に伝えられないことも、孤立している印象を与える一因だと思います」

 秋篠宮さまが32歳の時、皇族として目指すものを問われ、第一に天皇のサポートと答えたうえで、こう述べられた。

「これから10年くらいたってくると、また違う視野が出てくるのではないか。自分の役目として、あるサブジェクト(題目)みたいなものが出てくるかもしれない。自分なりの特色を出せたらいいな、と思います」(江森敬治『秋篠宮さま』)

平成皇室にとっては、重要な存在を一人失った

 かつては秋篠宮さまの、天衣無縫に物事を進めるかのような姿勢に、皇族としてあるべき姿ではないとして、苦言を呈した宮内庁幹部もいた。しかし、39歳を迎えた秋篠宮さまは「さんまの会」のように、皇室外の人々と幅広く会い、研究者としても「生き物文化誌学会」の発起人になられるなど、自分から枠を拡げて行動されている。

「秋篠宮ご夫妻と天皇皇后両陛下は、多くの人と会って新しい知識を得ることに貪欲なところが、よく似ておられます。皇太子ご夫妻も在日の大使などをお茶会に呼んだりしていましたが、皇太子殿下は学究肌の昭和天皇を敬愛し、今上天皇と共に皇居に通って過去の事跡を学ばれ、その影響を強く受けられています。派手な形のご交遊を好まれないのではないでしょうか」(皇族関係者)

 紀宮さまのご結婚は喜ばしいことだが、平成皇室にとっては、重要な存在を一人失ったことになる。皇太子と秋篠宮両殿下が担われる責任は、いっそう重い。

(文中一部敬称略)

(友納 尚子/文藝春秋 2005年1月号)