当初の夢は「俳優」だった

〈4歳になると神戸市垂水区多聞台の団地へ。小学校4年時には神戸市北区鈴蘭台の団地に移り、中学3年の春までを過ごす。〉

 最初の部屋が2DK、次の部屋が3DKとすべて当時の典型的な団地の間取りで、抽選で広い部屋に当たる度に越していった感じです。

 小中高と勉強ができなかった。「林檎と梨を3つずつ買いましたが1つ落としました。さて合計何個でしょう?」と訊かれても、林檎ばかりが頭に残って計算できない(笑)。心配したお袋が弟を抱いて様子を見に来ていたので、俺は授業参観が毎日あると思っていたんです(笑)。

 人気者だったけど、道化者としての人気ですね。友達からチヤホヤされたくて、親父にもらったシャープペンシルをあげちゃったりしてね。誰かと遊ぶにも、強い者に取り入って遊んでもらうタイプ。そこはいまも変わらない(笑)。

〈そんな上島少年を夢中にし、現在では意外にも思える俳優という夢を抱かせることになったきっかけは、映画だった。〉

 中1の頃に聞いていた浜村淳さんのラジオ番組で、映画を紹介していたんです。それで面白そうだなと思って観に行ったのが『チャップリンの独裁者』(40)だけど、字幕を追えないし、白黒だし、ヒトラーを揶揄した難しい話で、ピンとこない。でも、中2で観た『パピヨン』(73)が面白くて、パンフレットを買ったら主演のスティーヴ・マックィーンのギャラが6億円と書いてあった。「役者はこんなに稼ぐのか。俺もなる!」と真剣に思った。いやらしい動機だけど、そこから映画にハマり、役者に憧れました。日曜になると三宮や元町の映画館に通い、金のない時は名画座で300円3本立てを観る。

 映画雑誌も「スクリーン」「ロードショー」「キネマ旬報」を購読して、「キネ旬」には『砂の器』(74)『木靴の樹』(78)の批評を投稿しましたよ。もちろん、載らなかったですけど。わざと難しい映画を観て、俳優と監督の名前をむりやり覚えてね。学校の映画好きの連中と「ヴィスコンティはさぁ」なんて語っていたけど、全然わかっていなかった(笑)。