「もう待てません」兄と惹かれ合い、禁断の恋に落ちてしまった女性…熱い想いを交わし合う二人の“悲劇の結末”とは から続く

 歴史学習で取り上げられる女性は、どうしてこんなに少ないのだろう……。作家の篠綾子さんは、子どもの頃にそんな疑問を抱いたという。

 現在放送中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK)に登場する北条政子のように、歴史上の女性たちは決して活躍していないわけではない。

 ここでは、篠さんが“心をこじらせた”33人の女性たちについて書いた『 歴史をこじらせた女たち 』より一部を抜粋。源頼朝の“昔の女”といわれる「丹後内侍(たんごのないし)」について紹介する。(全2回の2回目/ 前編を読む )


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 平安末期から鎌倉初期の女性に、丹後内侍と呼ばれる女性がいました。本名すら分からないのですが、この時代の著名な人物と深い関わりがあり、かつ子孫には有名な人物もいます。

 彼女の父は比企遠宗(ひきとおむね)、母は比企尼(ひきのあま)と呼ばれ、頼朝の乳母(めのと)の一人でした。頼朝は京で生まれ、平治の乱に敗れて伊豆へ流されるまで、在京していますので、丹後内侍も母と共に京で成長したと考えられます。

 ちなみに妹が二人おり、「比企三女(ひきさんじょ)」などと呼ばれますが、丹後内侍はその長女でした。

 内侍というのは、宮中に仕える女官の役職ですので、その任にあったのでしょう。二条天皇の御世のことであったとされています。

源頼朝と男女の仲に…

 二条天皇といえば、即位後間もなく平治の乱が勃発しました。

 その乱のさなか、天皇は女房に変装して内裏を脱け出し、平清盛の六波羅邸へ行幸したと言われています。二条天皇のこの脱出劇を経て、官軍が入れ代わり、清盛方の勝利となりました。

 この平治の乱後、頼朝は伊豆に流されますが、二条天皇の御世は続きますので、丹後内侍は京に残ったのではないかと考えられます。

 丹後内侍は頼朝と男女の仲になり、男子を産んだとされていますが、いつのことかは分かっていません。ただ、伊豆へついて行ったとは考えにくいので、二人が関係を持ったのはその前のことでしょう。伊豆に流された年、頼朝は14歳ですが、丹後内侍の方は頼朝より若干年長だったのではないかと思われます。