“定年後”の概念を覆せ、無意味な世代間対立をやめよ――異例の150万ダウンロードを記録したレポート『不安な個人、立ちすくむ国家』を作成した経産省若手プロジェクトチーム3名と、彼らと同世代の社会学者・古市憲寿氏に議論をしてもらった。

 就職や結婚、定年後など、個人に提示される選択肢が増えたことの問題点とは――。

※ 「立ちすくむ国家」経産若手官僚の警鐘(前編) から続く

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個人の「選択」の難しさ


司会の古市氏 ©文藝春秋

古市 その「選択」について、単行本に収録されている養老孟司さんとの対談で、面白い話が出ていました。皆さんのレポートを読んでいると、「個人の選択」を重視しています。それは社会全体の風潮でもあるでしょう。でも養老さんは「日本人は選択が苦手だ」とおっしゃる。その上で「落ち着くところに落ち着く」「場の空気で決まったこと」というのもありじゃないか、と指摘しています。僕もこれは一面で真実を突いていると思います。

 自分の家族の話ばかりで恐縮ですが、先日、祖母が亡くなりました。生前、本人も家族も必要以上の終末期医療は要らないと考えていたのですが、点滴を続けないと生きられない状態になってみると、周囲はなかなか「点滴を止めましょう」という選択ができない。勇気ないんです。

宇野 それはすごくわかります。

古市 「すべて個人の選択です」と言われても、自分や家族が、社会的、肉体的弱者の立場に立たされた場合、本当に能動的な選択なんてできるのでしょうか。

宇野 今年、ノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーの行動経済学も選択に関する学問です。それを応用し、終末期の医療なら、延命治療を続けるか重い判断を迫られたとき、国や自治体が延命治療を続ける選択肢も示しつつ、それを能動的に選択しない限り自動的に延命治療をやめることにする。そのようなデフォルト、つまり初期設定を作れば、患者さんやご家族、現場の医師の心理的負担はだいぶ減ります。もちろん「国にそんなことまで言われたくない、選択できたとしても強要されていると感じる」という意見も出てくるでしょうから、慎重な制度設計が必要ですが、検討に値すると思います。

須賀 個人の選択が重要になる中で、選択しきれない個人に対して、公的機関が自己決定を下支えする枠組みをどこまで用意するのがいいのか。難しいです。

宇野 でも、終末期の医療などタブー視されがちなテーマも、議論していかなければいけませんよね。


宇野氏 ©文藝春秋

古市 今回のレポートに対して賛否両論多くの意見が噴出しました。ポジティブな反応もありましたか?

日髙 私たちの動きに触発されたのか、霞が関では国交省、地方では宮崎県庁の若手が同じような議論を始めていると聞きました。

須賀 ある国会議員からは「最近、地方の講演でみんなこの資料を使ってるよ」と言われました。

日髙 宮崎・日南市の市長からも「許諾とってないけど使わせてもらってるよ」と声をかけられました。

宇野 普段は苦情ばかり寄せられる省内の意見窓口には、「どうかこの若者たちをいじめないでください」という声がきていました。

須賀 きっと意地悪な上司に怒られたりしているに違いないと思った人たちが、心配してくれているんです(笑)。若手Pを紹介したNHKの番組を見た高齢の女性から、「ダウンロードというものができないから印刷して送ってくれませんか?」という電話をいただいたこともありました。実際にお送りしたら、丁寧に手書きのお手紙までいただいて。これにも心温まりましたね。

宇野 普段、我々官僚は非人間的で機械のような心のない存在だと思われているようです。そんな嫌われ者が、意外にわかりやすいレポートを書いた、しかも若手が! という驚きがあったのかな(苦笑)。

須賀 官僚も血が通った人間なんだと驚かれたんです。正しいけどわかりにくい文書を書くのは、ある意味で我々の特技ですし(苦笑)。

古市 確かに。今までの“霞が関文学”は、長い文章でツラツラと書かれ、結局何を言っているのかわからないものばかりでした。だからまったく読まれなかった。今回は多くの人に読まれ、内容を理解されただけでも大進歩ですね(笑)。