指す、観る、読む、書く、描く……将棋の楽しみ方は自由である。

 棋士の姿だけを観てもいいし、「将棋めし」だけに注目してもいい。好きな戦型のときだけ観てもいいし、最新の指し手を追求してもいい。

 大切なのは、どの見方が「偉い」ということはないことだ。

 古参の方々が「楽しみ方はこうあるべきだ!」と、強制してくる分野というのは、遅かれ早かれ衰退する。誰もが気ままに楽しめなければ、そこに新しい人はなかなかこない。


©️文藝春秋

自分なりの将棋の見方を聞く

 観る将が増えている。

 これはひとえに、将棋を観てきた方々の「誰でも楽しんで」という優しい雰囲気と「寝癖の形だけでも面白い」「バナナを何本食べるか注目」という誰でも楽しめる着眼点をたくさん面白がってきた風土ゆえだろう。

 このように気ままに楽しめる「観る将ライフ」であるがゆえ、他の人が「どのように将棋を観ているのか」は意外と知らないものだな――と思う機会が先日あった。

 私も著者の一人である『 将棋「初段になれるかな」大会議 』(扶桑社)のイベント用にサイン本を作る会があり、その打ち上げの席に私たち(高野秀行六段と漫画家のさくらはな。さんと私)のほか、版元や書店の将棋好きが集まった。そこで、棋力が異なる人たちが「自分なりの将棋の見方」を話していたのが面白かったので、ここで紹介してみたい。

プロ棋士・高野秀行六段の見方

 まずは席上、ただ一人のプロ棋士であった高野秀行六段の話からご紹介しよう。

――他の棋士の将棋は見ますか?

高野 プロはデータベースが見られるので、全部チェックします。年間、2千局以上ありますから、全部は並べきれないですけど。

――それはやはりお仕事という感じですね。「観る将」的に楽しむとか応援するといった感覚はありませんか?

高野 応援する気持ちはないですねぇ。

――飯島先生(栄治七段)が木村先生(一基九段)を応援するといったような感じはない?

高野 木村九段が、王位を取ろうかってときは、同世代ですから応援しました。ただ、飯島七段のような愛はないですね。あれは愛でしょう(笑)。まあ、飯島七段にとっては師匠みたいな存在なんでしょうね。

 やはりプロ棋士ゆえ、一般の「観る将」とは視点は違うようだ。ちなみに高野六段は、すべての対局に目を通すなか「どういう意図でこれを指しているのかわからない」ということが、たびたびあるという。そういったとき、一般の人と同じように戦術書を買って目を通し「なるほど。こうなってるのか」と理解するという。
 

 私が高野六段と一緒に本作りをしていて、すごいなと思うところは「わからない」ときっぱり言うことだったりする。プロだからと見栄をはってわかったようなふりをすることが一切ない。だから「プロにもわからないんだから、アマチュアはわからなくても大丈夫ですよ」というメッセージを込めやすい。学ぶべきことが多すぎる将棋では、「わからなくてもいいこと」を伝えることもけっこう大事なことなのだろうと感じている。
 

「観る将」にとって気になる「解説」のことも聞いてみた。