カープファンは世界中にいる。台湾には毎年キャンプから見学に来るゴリゴリのカープファンがいるし、年に何度もマツダスタジアムに足を運ぶイギリス人のカープファンもいる。カープユニを着てInstagramを更新するフランスの女の子もいれば、パラオにはカープファンが名付けた「カープ島」なんてのも存在する。

 その中でもスーダン人のモハメド・アブディンさんは日本のカープファンにも劣らぬ熱烈なカープファンだ。しかしアブディンさんはカープを見たことがない。いや、見ることができないのだ。幼い頃に視力を失ったアブディンさんは「カープの赤」を知らないのである。


モハメド・アブディン 1978年、スーダンの首都ハルツーム生まれ。生まれたときから弱視で12歳のときに視力を失う。著書に『わが盲想』(ポプラ社)。

カープに助けられた日本での生活

 アブディンさんが日本に来たのは1998年。スーダンから鍼灸師の留学生として、福井県立盲学校に入学し、鍼灸を学んだ。何もわからない祖国から遠く離れた島国で、点字だけで学校の授業についていく毎日。日本語を学ぶため図書館で朗読テープを借り、日本の言葉を吸収した。さらにアブディンさんは「もっと日本語を知りたい」とラジオを聴き始める。これがカープとの出会いにつながる。

「当時僕は野球というスポーツの存在すら知りませんでした。でもラジオを聞いてると毎晩野球の中継をしている。最初は3連戦をしてるとは気づかず再放送を毎日やってると思っていたんですね。それほど巨人が毎日勝っていたんです」

 当時福井県ではラジオで巨人戦がよく流れていた。

「そんなある日、広島カープというチームが巨人に勝ったんです。広島は小さい頃から原爆を落とされた街だと教わってましたし、巨人に勝つくらい強いチームなんだ!と一気に大好きになりました」

 当時のカープは万年Bクラス。決して強くはないのだがその時のイメージが強く、勘違いしてしまったというアブディンさん。

「恋(鯉)は勘違いから生まれると言いますしね」と、今では日本人以上に流暢な日本語でジョークも飛ばす。

 カープにハマり、野球を覚えラジオ実況から日本語を学ぶことでコミュニケーションも円滑に行き始めた。アブディンさんの日本での生活はカープに助けられたといっても過言ではない。当時の思い出をこう語る。

「あの時は小林幹英選手が大好きでしたね。あと苫米地選手や佐竹選手。浅井選手はあんなに頼りになる人はいないと思っていました。あと福井県の高校野球の決勝をラジオで聞いていたらとても良いバッターが敬遠されたんですね。そのバッターが実は天谷選手だったのですが、のちにカープに入団してとても嬉しかったですね」