ケガとリハビリとともにある野球人生

 松坂大輔、村田修一の去就が、いまだに確定していない。野球界に一大旋風を巻き起こした「松坂世代」も、すでに37歳となった。怖いもの知らずで向かうところ敵なしの20代が過ぎ、円熟期を迎えた30代を過ごした。そして、40代が間近に迫った今、それぞれが、それぞれの岐路に立っている。

 ヤクルトの「松坂世代」――それが、1981(昭和56)年3月17日生まれの館山昌平だ。2008(平成20)年からは5年連続で2ケタ勝利を達成し、09年には最多勝にも輝いた。150キロを誇るストレートを軸に、シュート、スライダー、フォーク、ナックルカーブ、チェンジアップ、シンカーなど、多彩な変化球を誇るサイドスローは、間違いなくヤクルト投手陣の中心であり、大黒柱であった。しかし、長年にわたってチームを支えるべく、常に全力で腕を振り続ける事の代償は大きかった。

「プロの選手ならば、できるだけケガをしないような練習、投球を意識することも必要なのかもしれません。でも、僕の実力ではそれでは戦えなかったんです。ケガをするリスクはあるけど、常に全力で腕を振るしかないんです。誰だってケガなどしたくない。でも、ケガを恐れていては僕の場合は先には進まない。いつ故障しても仕方がないという気持ちでマウンドに立っていました」

 館山の悲壮な覚悟の証が彼の全身に刻み込まれた無数の手術痕である。日本大学時代の02年に右肩のクリーニング手術を行い、プロ入り以降も04年に右ひじ靱帯を断裂。さらに肩関節、股関節、血行障害など、何度も身体にメスを入れており、トミー・ジョン手術だけでも、すでに3度も行っている。館山の下には、他球団選手からの相談が後を絶たない。


ヤクルトの松坂世代、館山昌平 ©文藝春秋

「確かにいろいろな選手が相談に来ることもあります。でも、それも歴史があって、たとえば、かつてトモさん(伊藤智仁)が手術した方法から、今は進歩していますし、先輩の河端龍さんも僕と似たような手術をしていますけれども、そのときとは術式も変わっています。僕の場合でも、1度目と2度目では手術の方法が違います。ドクターも常に勉強して、よりよい方法を確立しています。直近に手術をした人の経験こそ最新のものだと思うので、それを伝えるのも、僕の役目だと思っています」

 そんな館山は今シーズンオフ、9度目の手術を受けたという。今度は右肩と右ひじ。右ひじにメスを入れるのは2年連続6度目のことだった。それでも、その表情に悲壮感はない。館山は力強く答える。

「肩とひじを同時に手術して、全治3〜4カ月ですけれども、幸いにして開幕まで時間もありますし、ブルペンに入るのは(18年)1月の後半を考えています。それまでにしっかりと身体を作って、この時期にいい状態を作り上げてキャンプの4週間で、しっかりと形にできれば戦えるんじゃないかと思います」

 ケガとリハビリとともにあるプロ野球人生。それでも、歴史的大敗を喫した現在のヤクルトにとって、石川雅規とともに、館山昌平の存在はなおも大きいのだ。