「エコはダサいし、窮屈」というイメージを塗り替えてくれたのがニューヨーク

――環境問題の生活レベルでの受け止め方が日本とまるで異なりますね。

塩谷 私は30歳になるまでずっと日本で過ごしていましたが、社会的なメッセージを伝えたり、議論したりすること全般にたいして、「真面目か!」って笑われたり、エコへの取り組みも「意識高い系」と揶揄されたりすることが多かったんですよね。

 まあ気持ちは分からないこともないんです、私は子どものころ本当にエコが嫌いでしたから。我が家は母が環境問題への関心が高かったので、シャンプーは石鹸で、リンスはお酢(笑)。年頃でもアジエンスとか使わせてもらえないし、「あいつんちのリンスはお酢」って学校でバカにされるし、洗濯は漂白剤の入っていない石鹸洗剤だったから体操着もひとりだけ黄ばんでいた。クラスメイトの多くが500ミリのペットボトルを飲んでいる中で、私だけ重たい水筒を持たされていました。

 エコは、思春期の私のオシャレ度を下げる天敵でした。だから、23歳ではじめてひとり暮らしをしたとき、自由にシャンプーを選んでゴミを捨てられることが、本当に嬉しくて。そんな「エコはダサいし、窮屈」という私の原体験のイメージを塗り替えてくれたのがニューヨークだったんです。良いことをしようと呼びかけている人に「クールで素晴らしいよ!」って声援を送る人たちがたくさんいて、それがSNSでもどんどんシェアされていく。こういうラフでクールなスタイルなら私でもできそうだな、と思いました。

洗濯したときにマイクロプラスチックが出ないものを選ぶことも増えました

――服の趣味も変わりましたか?

塩谷 それまでの自分の仕事のプレッシャーをかき消してくれるような服から、自分の肌や東洋人としての目の色に自然に馴染むもの、できるだけ自分が「動物として違和感のないもの」をまといたいと思うようになりました。それに加えて、洗濯したときにマイクロプラスチックが出ない環境負荷の低いものを選ぶことも増えましたね。本当に愛着を持てて、長く使えそうな服を年に2、3着だけ。

 戦闘モードだったときは、重いピアスや指輪、まつげをがっつり付けても全然気にならなかったのが、働き方を変えて戦うことを減らし、自分のサステナブルな仕事の仕方が見えてくるにつれて、窮屈なものを身に着けてると、重いな、皮膚呼吸できないなと感じるようになった。自分自身が自然体に近づいてきたんだと思います。