2021年夏に開催された「東京2020」が終わった。五輪では日本が史上最多27個の金メダルを獲得し、パラリンピックも地元開催ならではの注目を浴びた。一方で大会はもともと巨額の公費投入を問題視されていた上に、コロナ禍による1年延期と無観客開催で更なる出費を強いられることとなった。負の遺産は誰に回され、そこから得る教訓は何なのか――。

 組織委員会の一員として関わった立場から、逆風が吹き続けた異例の五輪を振り返る。


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五輪の現場で

 8月8日未明、記者会見を終えた野球日本代表の稲葉篤紀監督はメディアセンターとなっていた旧横浜市庁舎を後にした。スタッフ一人一人を気遣う姿は大会初日から変わらない。

「ありがとうございました。お世話になりました」と声を掛けられた警備員が感慨無量の表情で「おめでとうございます」と返す。あとに続く森下暢仁投手、村上宗隆内野手の首には金メダルが掛けられている。1時間30ミリの大雨の中、侍ジャパンの最後の3人を乗せた車を見送り、私の東京五輪は終わった。

 野球・ソフトボール会場でのプレス対応という限定的な立場ではあるが、東京オリンピック・パラリンピック競技大会の約7000人の組織委員会の一員として運営に携わった。記者としてプロ野球、大リーグを主に担当し、五輪取材の経験は2000年シドニー大会のみ。プロリーグ報道が中心の米国で約10年を過ごしたこともあり、これまで五輪との縁は薄かった。ただ、だからこそ今回、五輪の特殊性を感じることができた。

何のための五輪か

 何のための五輪開催か。招致決定から提起され、特にこの2年間は繰り返された問いへの答えに窮する。サッカーのワールドカップや米大リーグのワールドシリーズの開催意義が議論されることはほとんどない。だが、近代五輪には19世紀末の開始時から理念のプレゼンテーションが求められた。大会開催のためには、各国の参加を促し、資金を集めるための大義名分が欠かせなかったのだろう。

 1980年代初めまで「アマチュアリズム」を標榜した五輪は、開催地の公費に頼らざるを得ず、大義名分は必要であり続けた。1984年ロサンゼルス大会で商業化へ転換したが、その後の大会が莫大な公費に頼るのは変わらない。国際オリンピック委員会(IOC)は「オリンピズムの目的」を「平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てる」とうたい上げる。公共性を前面に出さなければ、公費投入の正当性は主張できないのである。