米軍によるイラン革命防衛隊司令官の殺害と、ミサイルによる報復攻撃など、米国とイランと緊張が続いている。

米国とイランは現在、国交がない。

しかし、イランはかつて、米国の「盟友」あるいは「代理人」として蜜月関係だった時期がある。なぜ、両国の関係はここまで悪化しているのか。


Photo 12 / Universal Images Group via Getty

イランはかつて、パーレビ国王(シャー)を中心とする、王制国家だった。

1951年に民主的な選挙で選ばれて首相に就任したモサデク(写真)は、イランの自立を目指す民族主義者として知られていた。イランは第2次大戦中、ソビエト連邦とイギリスに分割占領されるという苦杯をなめた。

そして、イランの豊富な石油資源の利権は、イギリスのアングロ・イラニアン石油会社がほぼ独占し、その利益はイギリスに吸い上げられていた。

モサデクは首相になると、石油の国有化を断行。アングロ・イラニアン石油会社の資産を接収した。

これがイギリスや米国の逆鱗に触れたことで、モサデク政権はソビエト連邦(現ロシア)に接近した。モサデクは一方で、国内ではパーレビ国王と対立していた。

そして米中央情報局(CIA)など米英の情報機関は、モザデク首相を失脚させるため、パーレビ国王派を支援して1953年に軍事クーデターを起こした。モサデクは失脚。米国はパーレビ国王に実権を握らせた。

石油利権は、米英大手石油会社(メジャー)の手に渡った。アングロ・イラニアン石油会社は、現在の英系メジャー「BP」の源流の一つとなった。

民主的に選ばれた政権を転覆したクーデターに米国が関与したことは、2009年に当時のオバマ大統領が公式に認めている。

世界で民主化を標榜するはずの米国が、イランでは石油資源のために民主政権を覆して国王の独裁をもたらしたとして、イラン国内ではこれ以降、米国に対する反感が高まっていった。


「シャーのイラン」は米国の代理人として「湾岸の憲兵」と呼ばれていた

AFP=時事

米国の力で独裁的な権力を手に入れたパーレビ国王は親米路線を採り、最新兵器を米国から輸入。強力な国軍を作り上げた。

外交も米国と同調し、その軍事力を使って米国の「代理人」として中東ににらみをきかせ、「ペルシャ湾岸の憲兵」と呼ばれた。

そしてパーレビ国王は、国内では秘密警察などを駆使して強権支配を続け、社会の世俗化(脱イスラム化)や服装など文化の西洋化、工業化など、上からの改革を急進的に進める「白色革命」と呼ばれる政策を採った。

その結果、インフレや貧富の差の拡大などの社会問題も激しくなった。1970年代後半にはイランの財政を支えてきた石油価格が低落し、国家運営は財政面でも厳しくなった。

イラン国民の9割はイスラム教シーア派の信者だ。多くの市民が「イスラムに基づく公正な統治」を訴えるホメイニ師らイスラム法学者らを支持。民主化とイスラムへの回帰を同時に求める動きが激しくなった。

各地で激しい反政府デモが起きて混乱が拡がった結果、国王は1979年1月に国外に脱出。王政は倒れた。


反目を強めたイラン新政権と米国

AFP=時事

パーレビ国王が亡命したのちの1979年2月、フランスに亡命していたホメイニ師が帰国し、群衆に熱狂的に迎えられた(写真)。

これに慌てたのが、ペルシャ湾岸でのパートナーを失った米国だった。

イラン人の多くは、民主化を掲げながらイランでは独裁をもたらした米国の「二重基準」に深い不信感を持っていた。

王政を倒して生まれた新政権の主役は、パーレビ王朝が秘密警察を使って弾圧してきたイスラム法学者や民主化を求める若い世代で、米国への不信感は特に強かった。

米国は、新政権との距離感と掴めないままの状態が続いた。


テヘランの米大使館占拠事件が米国のトラウマに

-AFP=時事

イラン人には当時、米国が石油利権のために画策した1953年のクーデターの記憶が、強く残っていた。

そして1979年10月、パーレビ元国王の亡命を一時、米国が受け入れることを決めたことが、イランでの反米感情をさらに高めることになった。

1979年11月、反米デモ隊がテヘランの米国大使館に突入して占拠(写真)。米国人外交官や海兵隊員ら52人を人質に取り、元国王の引き渡しを求める事件が発生した。

この占拠事件は、大使館は任地国の官憲も立ち入りできず、外交官の逮捕や拘束は許されないという国際法に違反した行為だった。

そして当時、イラン側の大使館占拠グループの報道官役を務めたのが、エブデカール・現イラン副大統領だった。今のイラン政府の中枢に、国際法違反をものともせず大使館占拠を続けた人がいる、ということである。

米軍は1980年4月、ヘリコプターで兵員を送り込んで人質を救出しようとした。しかし、動員された輸送機とヘリコプターが衝突し、米兵8人が死亡するという無残な失敗に終わった。米国はイランと断交し、経済制裁を発動した。

米国はパーレビ元国王を米国から出国させた。元国王は結局、1980年7月にエジプトで死去した。

途中で脱出したり解放されたりした人を除き、最終的にアルジェリアなどが仲介した交渉により解放されるまで、人質らは400日以上拘束されることになった。解放されたのは、当時のカーター大統領が退任した日だった。

この米大使館占拠事件は、今も米国政府のトラウマとなっている。米国とイランの国交は断絶したままだ。


イランの「最高指導者」と大統領は何が違う?

AFP=時事“

イランの国家元首は、大統領ではなく、宗教指導者である「最高指導者」だ。

写真は2019年6月に安倍首相がイランを訪問した際のもの。ロウハニ大統領(左)も同席したが、安倍氏との会談の主役は、右側に座る最高指導者ハメネイ師だ。

それには、イランの宗教観が大きく影響している。

イランが国教とするのは、イスラム教シーア派の一派で、「12イマーム派」と呼ばれる宗派だ。シーア派は世界のイスラム教徒全体では1割程度の少数派だが、イランとイラクなどでは国民の多数を占める。

スンニ派は、イスラム教徒の間で形成される合意や預言者ムハンマドの慣行(スンナ)などを重視する。一方でシーア派は、ムハンマドの血筋を重視するという違いがある。

預言者の血を引いたうえで厳しい勉学を積んだ人物こそが、聖典コーランを正しく解釈できるという考え方に基づき、シーア派ではムハンマドの女婿アリーを初代とする「イマーム」と呼ばれる最高指導者が世襲されてきた。

第12代イマームは868年に生まれ、幼い頃に姿を消したとされる。12イマーム派は、このイマームは殺害されたりしたのではなく、神の意志で「お隠れ」になっていて、この世の終末の時に救世主として再臨する、と信じる。それが宗派の呼び名の由来でもある。

そして、救世主が再臨するまでの間、イスラム法学者がイマームの統治を代行し、宗教解釈を司り、政治の責任も背負ってイスラムに基づく公正な社会を築くというのが、ホメイニ師が唱えた「法学者の統治」理論だ。

これがイランの現行憲法の基盤となり、ホメイニ師は国家元首の「最高指導者」に就任した。

最高指導者は終身制で、神の意志に従い、国家と社会を指導する。初代ホメイニ師の死後の1989年、高位イスラム法学者の合議で選ばれたのが、2代目指導者のハメネイ師だ。

最高指導者は、政治指導者であるとともに宗教指導者でもあるため、日本では「氏」ではなく「師」の肩書で表記される。

公選制の大統領は「行政職のトップ」という色彩が強く、あくまで最高指導者に従うべき存在だ。


トランプ政権はイランへの敵意を隠していない

AFP=時事

2000年代に入り、イランが「医療用アイソトープをつくる」としてウランの20%濃縮などを進めていることが表面化した。

これを「核兵器の開発」と見た米国とイスラエルは、イランに対する経済制裁を主張。最終的に、関係が極度に悪化したことを危惧した欧州各国などの仲介で交渉が始まった。

ハメネイ師は「核兵器の開発は神の意志に反する。我々は核兵器を持つ気はない」と、疑惑に対して否定を続けてきた。

核兵器をつくるには90%以上の濃度のウランが必要で、当時のイランの設備では難しいという見方があった。イランの真意は、今も明らかになっていない。

一方で米国は、実際に核兵器をつくったインドやパキスタンには、こうした強硬な姿勢を取らなかった。

合意はオバマ政権時代の2015年に成立し、イランが高濃縮ウランや兵器級プルトニウムを15年間は生産しないことや、ウラン濃縮に使われる遠心分離機を減らす見返りとして、米欧は経済制裁を緩和した。

「外交の成功」と高い評価が出た一方、イスラエルや米国のタカ派は、ゆっくりとでも核開発を進められると合意の批判を続けた。

米国は、イスラエルの安全保障を中東政策の基軸としている。そしてトランプ政権は、米国のキリスト教福音派を重要な支持基盤とする。

福音派は「イスラエルを再興することが、神の意志にかなうことだ」という宗教的信念を持っている。また、トランプ氏の娘婿ジャレド・クシュナー大統領上級顧問は、「神が与えると約束した地」イスラエルへの帰還を宗教的理念とするユダヤ教の信者だ。

こうした背景を持つトランプ米大統領は2018年5月、核合意を離脱すると発表し、制裁を再開した。

核合意が完全に破綻すれば、もし本当にイランが核兵器の開発を目指したとしても、それを止める外交的枠組みはもはや存在しない。

トランプ氏は1月8日、「イランは核兵器を開発すべきではない」「今の核合意は廃棄し、新たな取引を行うべきだ」と述べたが、その具体案は示していない。


ハメネイ師も米国への不信感をあらわにしている

We have no doubt in @abeshinzo’s goodwill and seriousness; but regarding what you mentioned from U.S. president, I don’t consider Trump as a person deserving to exchange messages with; I have no response for him & will not answer him.

— Khamenei.ir (@khameneiir)

ハメネイ師は2019年6月、核合意の遵守などを仲介しようとイランを訪問した安倍首相と会談したのち、以下のようにツイートしている。

「安倍氏の善意と真剣さは疑わない。しかしトランプを対話の対象とはみなさない。私は彼に応答しない」

「イスラム共和国は米国を信用しない。核合意を巡る交渉のような苦い経験は繰り返さない」


「敵の敵は一時的な味方」な中東では共闘も

AFP=時事

米国とイランは対立を繰り返しながらも、一時的な「共闘」をすることもあった。

その典型的な例は、イラクなどでの過激派「イスラム国(IS)」掃討作戦だ。

スンニ派の勢力であるISは、同じ神を信じるイスラム教ながら、神学大系が異なるシーア派を「背教者」と見なし、攻撃してきた。

イラクでは2014年、ISが北部の大都市モスルなどを制圧。イラク国軍は太刀打ちできないまま敗走した。このIS掃討作戦で国軍とともにモスルに突入したのが、イラクのイスラム教シーア派民兵組織を統合した人民動員隊(写真)だった。

そこに、米軍を中心とする「有志連合」が空爆などで支援した。

この人民動員隊は、1月3日に米軍に殺害されたソレイマニ司令官の事実上の指揮下にあった。そしてソレイマニ司令官ともに、人民動員隊のイラク人副司令官だったムハンデス氏も死亡した。

ブルームバーグなどによると、司令官らの殺害後、有志連合はイラクでの対IS作戦を中止した。関係の破綻で中止に追い込まれた、という方が正しいかも知れない。


日本とイランの関係は

AFP=時事

日本は、イランが豊富な石油資源を持つこともあり、外交関係においては米国と距離を取り、イランとの友好関係を維持してきた。

1992年にイラン人不法就労者の増加で中止されるまでビザ相互免除協定があり、イラン人はビザ無しで来日することができていた。

2019年6月には安倍首相がイランを訪問。12月にはイランのロウハニ大統領が来日した(写真)。

日本の狙いは米国とイランの仲介だったが、米国とイランの関係はますます悪化しており、仲介者としての役割が果たせたとは言えない。

日本はまた、自衛隊を中東に派遣することを決めている。活動範囲はアラビア半島東方海上一帯で、イランが面するホルムズ海峡、およびその奥のペルシャ湾は対象としなかった。

自衛隊はまず、哨戒機を1月11日、日本から送り出す。

この決定の背景には、友好関係にある米国とイラン双方の顔を立てたいという苦慮があった。

トランプ政権は2019年7月、タンカー攻撃が相次いだペルシャ湾への有志連合による艦隊派遣を呼びかけた。米国は、タンカー攻撃をイラン革命防衛隊のしわざとみていた。

これを日本がそのまま受け入れれば、イランとの関係を損なう。

受け入れなければ、今度は米国との関係が悪化しかねないというジレンマがあった。

その結果、護衛艦をペルシャ湾ではなく、その周辺に送り、双方の顔を立てるというかたちをとった。

とはいえ派遣先は、イランが支援する民兵勢力とサウジが支援する政府軍の内戦が続き、アルカイダやイスラム国などの過激派も潜むイエメン沖を含む。海賊の発信基地となっているソマリアからも近い。

こうした勢力から、自衛隊が何らかの攻撃を受ける可能性は、否定できない。

安倍首相は1月11日、サウジアラビア、オマーン、アラブ首長国連邦3ヵ国の歴訪に出発した。

主な目的は、この自衛隊派遣の説明と、緊張緩和に向けての意見交換だ。


BuzzFeed Newsではイランと米国の背景をさまざまな角度から報じています。

・イランの軍事力と戦略の特徴
・両国が対立を強め、そして急速に手を引いた背景
・各地で起きた戦争に反対する動き