きょうから展示 期待感物語る?
 一九四〇年の開催が決まったが戦争の影響で中止となった「幻の東京五輪」の開催記念の杯が、富山市総曲輪の再開発地区の発掘調査で出土し、市教委が二十四日、発表した。アジア初の五輪への期待感が富山に及んでいたことを示す貴重な資料という。
 杯は破片十三点で、同じ種類のちょこ。完全な形だと、大きさは口径五・五センチ、底経二・一センチ、高さ三・〇センチ。「ORINPIKU」のローマ字表記、五輪マーク、日章旗などが型の成形で彫り込まれている。
 市教委によると、美濃焼の杯の主要産地・岐阜県多治見市市之倉で作られたとみられる。生産量は不明。出土場所は、太平洋戦争末期の四五年八月の富山大空襲までは陶磁器商店「太田陶器店」があり、売薬の得意先への贈答品だった可能性がある。地面に掘った穴から見つかり、空襲から守るためか、廃棄のため埋められたと考えられる。
 骨董(こっとう)品として流通、収蔵例はあるが、発掘例は東京や大阪などの大都市圏でも報告がないという。富山市教委埋蔵文化財センターの鹿島昌也主査学芸員は「富山の人々は五輪を心待ちにしていたのではないか。戦後の東京五輪がよく話題になるが、幻の五輪の存在も知ってもらえたら」と願う。
 市教委は昨年八〜十月、市中心部の西武富山店跡地を含む再開発地区を発掘調査。同時に出土した弥生時代−昭和前期の陶磁器三百点とともに、二十五日から同市婦中町の安田城跡資料館で展示する。 (山本真士)
 幻の東京五輪 1936年7月の国際オリンピック委員会(IOC)総会で第12回オリンピックとして開催が決まった。37年7月に日中戦争が始まり、翌年7月の閣議で中止が決まった。招致当時の東京市長は富山県射水市出身の牛塚虎太郎。関連の記念品は各地で独自に作られていた。