七十二年前の島田空襲の犠牲者を慰霊するつどいが二十六日、島田市扇町の扇町公園であり、約百二十人が参列して平和への思いを新たにした。
 扇町には一九四五(昭和二十)年七月二十六日朝、米軍機B29が五トン爆弾を投下。三十三人が即死し、約四百戸が全半壊するなど大きな被害を受けた。この爆弾は「パンプキン爆弾」と呼ばれ、後に長崎に落とされた原子爆弾の訓練用の「模擬原爆」だったとされる。
 公園に建てられた慰霊碑を前に、地元の島田第二小六年の新間祐太君(12)、山内梨緒さん(11)が「平和な世界を守るためにできることは、未来まで戦争の恐ろしさを伝え続けること」などと誓った。
 所属する部隊から一時帰宅し、空襲の一、二日後の島田の惨状を目撃したという中島昭司さん(90)が、地元を代表して「尊い犠牲を忘れず、愚かな戦いを二度と起こさないことを誓う」と述べた。
 中島さんによると、扇町地区で島田空襲を知る人は、もうほとんどいないという。慰霊のつどいは、歴史を語り継ぎ平和の尊さを次世代に伝えようと、二〇〇二年から市や地元住民らが営み、十六回目。

(古池康司)