東近江市ゆかりの日本画家で文化功労者の中路融人(なかじゆうじん)さんが、83歳で亡くなった。五個荘竜田町の中路融人記念館をはじめ、市内には多くの作品が残り、思い出話も多い。
◆五個荘の記念館が30日まで入館無料
 京都市出身の中路さんは五個荘地区にある母親の実家を幼少から訪れており、多くの絵画の題材に選んだ。東近江市には積極的に作品を寄贈し、二〇一五年二月には名誉市民の称号を受けた。
 記念館は中路さんの作品を常設展示するため、一六年四月にオープンした。学芸員の福井瞳さん(24)は「一筆一筆に集中し、命を懸けて作品に魂を込めている人だった」と振り返る。
 のどかな田園風景を描いた「朝霧の川」(100号)。朝もやの向こうにうっすら見える木々や山々はデッサンで詳細に描き込み、彩色でぼかすように色を重ねたという。見え方にもこだわりがあり、「『この絵が隣だと目立たないんちゃうか』と、企画展の絵の並びにもアドバイスいただいた」と福井さんは話す。
 芸術家らしいこだわりの一方、気さくな人柄でもあったようで、ギャラリートークの際には休憩中にもかかわらず、ロビーでサインを求める人たちに丁寧に応じたという。
 記念館近くの五個荘小学校にも作品が残る。母親の実家が近くだった縁で、〇五年の現校舎完成を祝って寄贈した「湖北早春」(80号)は、児童が行き交う廊下に掛かる。
 一三年十一月には、中路さんが六年生に岩絵の具の使い方を教え、体験させたことも。当時六年の学年主任だった桑原千佳子教諭(51)は「子どもたちが廊下の絵に興味を持って見るようになった。教わった塗り方で工夫して絵を描くようになった子もいた」と話す。
 市役所の市長室には、富士山を描いた「富嶽(ふがく)」(縦四十四センチ、横五十七センチ)も。一五年八月、中路さんが搬入した。小椋正清市長によると、絵の掲げる高さにこだわりがあり、細かく指示を出したり、自ら壁に印を付けたりしていた。「あれだけ言われたら、もう動かせへん」と笑う。小椋市長は二十二日の告別式で弔辞も読んだといい、「いただいた絵は東近江の宝。多くの人に見てもらうため独立した美術館を造りたいくらい」と語った。
 記念館は、追悼として三十日まで入館料を無料とし、芳名帳も用意している。

 (小原健太)