太平洋戦争末期の一九四五年八月二日未明にあり、富山市に甚大な被害をもたらした富山大空襲から七十二年を迎えるのを前に、富山大空襲を語り継ぐ会が二十九日、富山市の富山県民会館で戦争体験者の講演会を開いた。会員や参加者は犠牲者をしのび、黙とうをささげ、不戦の思いを新たにした。
 参加者約二十人を前に、代表幹事の田中悌夫さん(86)が講演。原爆投下訓練を目的に、米軍が富山市内に落とした「模擬原爆」を目の当たりにした経験を語った。
 四五年七月二十日、当時中学二年生だった田中さんは登校中に青空を飛ぶ米軍B29爆撃機一機を見つけた。「ザーと空気を切り裂く音が聞こえた。近くにいた男性が『ふせろ』と叫び、近くの壕(ごう)に逃げた」。難を逃れた後、落ちた場所を見ると直径十メートルの穴が開いていたという。
 田中さんは「富山の空襲が広島、長崎の原爆投下につながるとは恐ろしいことだ」と振り返った。同会によると、模擬爆弾は十八都府県に五十発が落とされた。富山市には四発が落とされ、約六十人が亡くなった。 (酒井翔平)