太平洋戦争末期にあった「一宮空襲」の犠牲者追悼式が二十八日、一宮市桜の大乗公園内にある殉難碑前で営まれた。
 空襲は一九四五(昭和二十)年七月十二日深夜〜十三日未明と、二十八日夜の二回あった。一度目の空襲では市北部、二度目の空襲では市中心部が広く焼け落ち、計七百二十七人が犠牲になった。
 追悼式は遺族らでつくる市戦災遺族会が毎年催し、今年は八十人が参列。セミの鳴き声が響く中、碑の前の献花台に花をささげ、手を合わせた。
 空襲で母方の祖父を亡くした遺族会の野田清一会長(72)は「戦争の悲惨さと教訓を次世代へ語り継ぎ、平和を願い続ける」と追悼の言葉を述べた。
 市民病院の看護師だった義理の妹を亡くした同市新生の平尾正子さん(89)は「私は当時稲沢にいたが、終戦まで空襲におびえる日々だった。参列するたび、戦争は絶対にだめだと思う」と話していた。

 (植木創太)