「最後に審判の右手が挙がった瞬間からインタビューの直前まで記憶が欠落している」
 二十六日の三重大会決勝。三重を破った時、津田学園の佐川竜朗監督(38)の気持ちは「これまでないほど高ぶった」。背景には選手の成長がある。
 チームを引っ張る三年生はかつてこう呼ばれていた。
 「歴代最弱」
 県内の一年生チームが参加する大会は桑員地区予選で敗退した。佐川監督は振り返る。「一球に対する思いが足りなかった。野球の神様に見放されてしまっていた」
 監督は自身の高校時代との落差が気になっていた。PL学園出身。一九九六年夏に甲子園の土を踏んだ。大学、社会人チームを経て二〇〇八年四月、監督に就任した。強豪校でのレギュラー争いの中、「うまくなるためには自発的な練習が大切」と感じていた。
 「応援されるチームになろう」。選手にこんな目標を掲げた。求めたのは、グラウンド外での立ち居振る舞いの改善。「先生や同級生から好意的に見てもらおうと、普段の生活態度に細かく気を配ることで、野球でも一つ一つのプレーに自然と意識を集められるようになる」と考える。
 練習メニューは以前から選手が決めてきた。昨夏の県大会決勝でいなべ総合に敗れると、個々の技術向上に重点を置いた。メニューの細分化をやめ、打撃練習の時間でも守備に入って動きを確認したり、投球マシンで犠打を鍛えたりとそれぞれが課題に向き合った。
 「やらされている練習ではうまくならない」と水谷翼主将(三年)。佐川監督はほとんど口を出さない。「勝ちたい思いが強いことは分かっているから」
 バッテリーを中心に守り勝つ野球を目指した。水谷主将は本格派右腕のエース。劣勢の場面では下手投げ左腕の若林潤投手(同)が登板し、相手のリズムを狂わせる。
 が、今春の東海大会県予選決勝で近大高専に逆転負けを喫した。
 3−4
 そのスコアを選手たちは胸に刻んだ。
  ◇    ◇
 七日に開幕する全国高校野球選手権大会に、津田学園(桑名市)が出場する。九一年の創部以来、春のセンバツには九六年と二〇〇二年に出場しているが、夏の甲子園は初となる。大舞台への軌跡を二回に分けて紹介する。

 (芝野享平)