砲弾含め店舗横に展示
 富山県南砺市城端の老舗菓子店「田村萬盛堂(まんせいどう)」は戦後の物資不足の時代、地元にあった「旧陸軍立野原(たてのがはら)演習場」付近で銃弾の薬きょうを拾い、和菓子の模様作りに利用していた。今も八代目当主の田村悟敏さん(71)が大切に保管し、店舗横のギャラリーで展示。戦争の影響による菓子製造の苦労を物語っている。(渡辺健太)
 同店は江戸寛政年間(一七八九〜一八〇一年)の創業。演習場は一九四五年八月の終戦まであり、実弾演習が行われていた。
 悟敏さんによると、先代の亡父泰治さんは石集めが趣味で、戦後は演習場があった桜ケ池付近でよく石を拾い、薬きょうや砲弾も持ち帰った。
 薬きょうは真ちゅう製で三サイズあり、いずれも直径約一・五センチ。長さはそれぞれ約三、五、七センチ。泰治さんは、魚の形をした和菓子を作るときに薬きょうをスタンプのように使い、うろこの模様をつけた。砲弾は高さ約三十センチ、直径約十センチの鉄製。中が空洞のため、かまどを炊く際に使うマッチの燃えさし入れとして利用していた。
 体の弱かった泰治さんは徴兵を免れ、戦中も和菓子を作った。
 しかし、砂糖はなく、サッカリンなどの人工甘味料の使用を余儀なくされた。「金属製の仕事道具も供出したかもしれない」と悟敏さん。薬きょうや砲弾は一九六五(昭和四十)年ごろまで使用。泰治さんは八四年、八十三歳で亡くなった。
 悟敏さんは二〇一二年八月、伝統の道具を幅広く見てもらおうと「木型館」をオープン。和菓子の木型約三百点に加え、ひっそりと薬きょうや砲弾も置いた。「材料も道具も自由に選べる今だからこそ、本当においしいものを作りたい」と話している。
 旧陸軍立野原演習場 金沢市に司令部を置いた第9師団の射撃演習場。旧城端、福光両町にまたがる小矢部川右岸の丘陵地にあった。明治時代の1898年から陸軍による土地買収が始まったとされ、広さは約600ヘクタールで国内屈指の規模。太平洋戦争の終戦で廃止された。演習時、砲弾の的中を目視した建造物「監的壕(かんてきごう)」2基が2014年4月に南砺市文化財となった。