立山信仰の中心地としてかつて宿坊が軒を連ねていた立山町芦峅寺(あしくらじ)と江戸城との関わりを示す石造物を巡る一般向けの見学会が十一日、芦峅寺で開かれた。参加者は、江戸城の中枢部から寄進された地蔵などを見ながら信仰の広がりや歴史に思いをはせた。
 立山博物館学芸課の森山義和主任が参加者七人を案内。同館に隣接する宿坊「教算坊」から片道一キロを歩き、「旧宝泉坊跡」「布橋」「相栄坊の墓地」を訪ねた。
 教算坊から道を挟むと旧宝泉坊跡があり、江戸時代後期に老中松平乗寛や十一代将軍徳川家斉の正室らが寄進した石柱や石塀、灯籠が残る。森山主任は、こうした江戸城の中枢にいた人物が石造物を寄進した史実に触れ「立山信仰が江戸城の中心に広がっていた証左になる」などと解説した。
 その後、加賀藩とも関わりのあった布瀬橋を渡り、宿坊「相栄坊」の墓地へ。十三代将軍家定の大奥でも最高位の一人だった八重嶋が晩年に石仏の寄進を願い、死後に実現したという地蔵菩薩(ぼさつ)像を見学した。
 砺波市から参加した無職中川隆茂さん(72)は「芦峅寺と徳川家のつながりは知らなかった。奥深い」と感心していた。 (山中正義)