六回1死二、三塁。打席に立った山内良太選手(二年)がベンチを見ると、監督のサインはいつもの「エンドラン」。「毎日のように練習した。転がせる自信があった」。初球は狙っていた外に逃げるシュート。打球は三遊間に抜け、同点の一打になった。
 八回2死二、三塁。再び好機が巡ってきた。強いゴロを三塁に打ち返し、一塁手が送球を取り損ねたのを見ると、夢中でヘッドスライディング。この間、二人の走者が生還して勝ち越した。
 京都府舞鶴市出身でメンバーでは唯一の県外出身者。中学時代の指導者が坂井のコーチと知り合いだったことが縁で見学が実現し、バントやエンドランなど細かなプレーの練習を大切にすることに魅力を感じて入学を決めた。高浜町に住む祖母・古川千代子さんの「一人でも何かあったら来たらいいよ」との言葉も背中を押した。
 その千代子さんが、高校入学直前の三月に亡くなった。頼りにしていた祖母の死は「ショックだったし、不安でもあった」。それでも「野球一本で行くと決めたのだから引きずるのはやめよう」。応援してくれた祖母を思い、練習に力が入った。
 練習後、午後九時ごろまで居残ってトス打撃や素振りを繰り返した。当初こそバットの振りが遅く、高校のレベルに付いていけなかったが、一年の秋にはレギュラーを勝ち取るまでに成長した。
 「甲子園での一勝は難しい」。そう思い知った。それでも「一本の安打を足掛かりに得点する野球で私学を追い詰めた」。自分がほれた坂井の持ち味を大舞台で発揮できたことに手応えも感じる。
 「勝利をつかみにもう一度甲子園に行く」。高浜町の祖母の墓前で、約束するつもりだ。

 (片岡典子)