江戸時代後期に加賀・前田家十一代当主前田治脩(はるなが)が参勤交代で江戸から金沢に戻る途中、魚津で蜃気楼(しんきろう)に出合い、絵を描かせた場所「魚津浦の蜃気楼(御旅屋(おたや)跡)」(富山県魚津市)が十五日の国文化審議会で、国登録記念物(名勝地関係)に登録するよう文部科学相に答申された。気象に関する登録記念物は全国初。
 御旅屋は参勤交代や鷹(たか)狩りの際、藩主の宿泊や休憩のために使う施設で、現在の大町海岸公園にあった。
 治脩が一七九七年四月に描かせた絵は「魚津蜃気楼之(の)図附喜見城(つけたりきけんじょう)之図断」(縦五十二センチ、横七十三センチ)で、金沢市立玉川図書館近世史料館が所蔵する。蜃気楼の変化の様子を上部にめくれるように貼り合わせた六枚で表現している。
 県教委は「現在も蜃気楼を観測できる由緒ある名所として意義深い」と説明している。
 答申は、蜃気楼発生地・魚津の文化的価値が認められた形。国内で蜃気楼を見たとする最古の記録は一六六九年、加賀藩に仕えた儒学者沢田宗堅が、五代当主前田綱紀の参勤交代に先行し、江戸に赴いた際の紀行文「寛文東行記」にある。魚津の蜃気楼を詠んだ漢詩で「碧海現蜃楼」とある。
 藩の記録「魚津古今記」では、綱紀が魚津に宿泊した際に見た蜃気楼を吉兆と喜び、「喜見城」と呼ぶよう命じたとされる。治脩が描かせた絵のタイトルにつながる。明治、大正時代の絵はがきでも魚津の蜃気楼を描いたものが残る。