現在のコロナ禍によってNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の撮影が中断して放送も途中でストップするなど、時代劇ファンならずとも厳しい想いのご時世ではあります。

「麒麟がくる」は織田信長を討った明智光秀を主人公としたもので、その光秀を討って天下統一を成し遂げたのが豊臣秀吉でした。

権力を手に入れた秀吉は傲慢かつ残虐非道な行為へ走っていきますが、そんな彼と対峙し続けていった芸術家がいました。

わび茶(草案の茶)の完成者と知られ、茶聖とも称される茶人・千利休です。

今回は決して権力に屈することのなかったルネッサンス人千利休の晩年の戦いを描いた映画『利休』を紹介したいと思います。

戦国の世が平定された後千利休と豊臣秀吉の確執

『利休』の舞台は、安土桃山時代。

堺の商人の出だった茶人・千利休(三國連太郎)は織田信長(松本幸四郎=現・二代目松本白鷗)の茶頭でもありましたが、信長は1582年6月2日の本能寺の変で明智光秀の謀反に遭い、自決。

信長の意思を継いだ羽柴秀吉(後の豊臣秀吉/山崎努)によって、やがて戦国の世は平定され、利休もまた秀吉の庇護の下で茶の道を追求していきます。

しかし秀吉の側近・石田三成(阪東八十助=現・十代目坂東三津五郎)の台頭とともに秀吉の粗雑で傲慢なふるまいが目立っていきます。

一方、商人出身ということもあってか自由で世界的視野にも長けつつ、美と知の道を究めようとする利休と秀吉の関係は次第に悪化していきます。

そして1591年、ついに秀吉は利休に……。

世界的視野に長けたルネッサンス人・利休

本作は映画監督のみならず華道・陶芸、舞台美術&演出家などさまざまな道に精通した芸術家として世界的にリスペクトされ続ける勅使河原宏が手掛けたオールスター・キャストによる時代劇超大作です。

映画における勅使河原宏監督のタッチは『砂の女』(64)『他人の顔』(66)などに代表されるシュールレアリズムに裏打ちされたものですが、ここでは芸術そのものに真摯に対峙し続けようとする勅使河原監督そのものの生きざまを千利休に託して描いているかのような趣きもあります。

映像は徹底して絢爛豪華、しかしながら決して激昂するようなことはなく、ひたすら静謐で趣きがありつつ、どこかピンと張りつめた緊張感が画面全体にみなぎっています。

勅使河原監督と名コンビでもあった武満徹の音楽も、ルネッサンス的な優雅さの中に緊張感を巧みに忍ばせています。

緊張感ということでは、本作の中で使用されている茶器や掛け軸などはその大半が本物を美術館から借りて撮影しているとのことで、そのため現場の緊張感は並々ならぬものがあったとのこと。(あの名優・三國連太郎ですらも、本物の茶器を手にして手が震え、NGを出した!)

利休の「静」、秀吉の「動」を対比させながら、本作は芸術的かつ娯楽的要素を巧みに混在させていき、そこから「美は、ゆるがない」(本作劇場公開時のキャッチフレーズでもあります)利休の世界的視野に長けたルネッサンス人としての矜持を見る者に伝えてくれます。

本作はモントリオール世界映画祭最優秀芸術貢献賞、ベルリン映画祭フォーラム連盟賞といった海外での映画賞受賞も当然といった貫禄なのでした。

また本作の豪華絢爛さは、後の漫画『花の慶次』や現在の「麒麟が来る」など戦国から安土桃山へ至る時代を描いた時代劇作品の源流となっている感もあります。(そういえばかつて黒澤明監督が武田信玄を題材にした『影武者』を撮ったときも「戦国時代の武将はみんなオシャレだったんだよ」と語っていました)

かつての日本にこのような「美」を極めようとしていた時代があり、人がいたことを、見る者に気高く知らしめてくれる名作です。

(文:増當竜也)