没後30年を迎えた石原裕次郎の日活・石原プロモーション製作の出演作93本を、約3年半かけてコンプリートする「石原裕次郎シアターDVDコレクション」が創刊した。日本映画史に残るスターの足跡をたどるのはもちろん、勝新太郎三船敏郎吉永小百合仲代達矢、さらに『愛、アムール』のフランス女優エマニュエル・リヴァなど国内外の豪華俳優たちと共演しており、お宝映像の宝庫となっている。その一部を写真と共に紹介したい。

 初期裕次郎作品といえば、のちに夫人となる北原三枝、テレビ朝日系連続ドラマ「やすらぎの郷」の“お嬢”役が好評の浅丘ルリ子、女優引退後も根強い人気を持つ芦川いづみの3大ヒロインが花を添えたことで知られる。それらの作品を見ていると、のちの大スターが思わぬ役で出演していることに驚くだろう。例えば『あいつと私』(1961)では芦川、吉永小百合、酒井和歌子が姉妹役。当時、芦川と吉永は同じ日活所属だったとはいえ、その贅沢な起用と彼女たちの美しさに恍惚としてしまう。

 1950年代から大手映画会社各社は自社での新人俳優の発掘と育成に力を注いだ。大学在学中に街中でスカウトされて入社したのが、現在放送中のドラマ「やすらぎの郷」の“秀さん”こと藤竜也。裕次郎主演『黒い海峡』(1964)には“新人”の注釈付き、日活スターオールキャスト映画『嵐の勇者たち』(1969)にも堂々、名を連ねているが、一瞬、気づかない人も多いかもしれない。

 藤といえばダンディーさを引き立てるひげがトレードマークだが、初期の頃はない。スカウトされるほどの、文句なしの正統派二枚目だが、日活スター軍団の中では「特徴がない」と、自らひげを生やす決断をしたという。そして藤は、1968年に芦川と結婚。看板女優との“格差婚”は日活幹部が難色を示すことが予想されたが、裕次郎が先手を打って説得してくれたという逸話が残っている。

 同様に女優・梶芽衣子も1965年に日活に入社し、裕次郎作品で新人俳優としての基礎と経験を積んだひとりだ。 ただし、最初は本名の太田雅子名義で活動。裕次郎が歌う同名主題歌がヒットした『夜霧よ今夜も有難う』(1967)では、とある組織に追われるルリ子&二谷英明カップルをかくまうナイトクラブで働く娘・ヒロミ役で出演しているが、のちに『野良猫ロック』シリーズや『女囚さそり』シリーズで一世を風靡(ふうび)することを予感させるような、快活な演技が印象的だ。

 現在の名前に改名したのは、映画『日本残侠伝』(1969)出演時で、マキノ雅弘監督の命名だった。それが転機となって徐々に注目を集め、当時、東宝所属だった浜美枝をヒロインに迎え、裕次郎、二谷英明、宍戸錠、浜田光夫、渡哲也、吉永、山本陽子ら日活所属のオールスターキャストが出演したサスペンスアクション『嵐の勇者たち』(1969)に、前述した藤ともども出演を果たしている。

 1963年に裕次郎が「石原プロモーション」を自ら創設して映画製作に携わると、キャスティングはより大胆かつゴージャスに。『黒部の太陽』(1968)では三船敏郎と、さらに『栄光への5000キロ』(1969)では三船のみならず仲代達矢も加わった夢の3ショットを実現。そして『富士山頂』(1970)では盟友でもあった勝新太郎とも“競演”を果たした。

 それだけではない。石原プロモーションで製作した映画は海外戦略を強く意識しており、企画そのものがワールドワイド。裕次郎がプロレーサーとしてモナコ公国のモンテカルロラリーやアフリカのサファリラリーに参戦する『栄光への5000キロ』では、フランス人レーサーの恋人役で、フランス女優エマニュエル・リヴァが出演している。43年後、彼女が『愛、アムール』(2012)でアメリカのアカデミー賞で主演女優賞にノミネートされるとは、誰が予想できただろうか。

 また大分の児童養護施設・白菊寮(現・社会福祉法人別府光の園)建て替え秘話を描いた『ある兵士の賭け』(1970)には、フランク・シナトラJr.が若き米兵役を演じている。残念ながらシナトラJr.は2016年3月16日に72歳で、リヴァは今年1月27日に89歳でこの世を去ったが、2人のみずみずしい姿が日本映画の中に遺されたことは実に貴重であり、光栄の至りと言えるだろう。

 同様に裕次郎作品には、昭和30年代の銀座の光景が見られる『銀座の恋の物語』(1962)、建設当初の鹿島臨海工業地帯で撮影した『甦える大地』(1971)など、経済成長著しい昭和の風景が記録されており映像遺産としての価値も高い。改めて作品を振り返りながら、裕次郎という映画を愛した男が、我々に遺してくれたものを噛み締めたい。(取材・文:中山治美)

「石原裕次郎シアター DVDコレクション」は朝日新聞出版より順次発売中