オープンボディの356は長い生産期間に進化していった。異なる3台を比較してみよう。<1959年 ロードスター編>

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スピードスターは1958年までに2922台が製造された。ヨーロッパで販売が始まったのは後期になってからだ。ヨーロッパ市場にはベーシックすぎると考えたのである。アメリカでも、ある程度の装備が揃うスポーツカーに需要が移り始めたので、ポルシェは短期間だけコンバーチブルDというモデルを発売した。これが、1959年に356の”B”シリーズ誕生と共にロードスターとなる。製造はハイルブロンのドラウツが担った。アメリカでの価格は3700ドルで、スピードスターを上回ったが、それでも356Aカブリオレより安かった。
 
ロードスターでは快適性が高まった。巻き上げ式のサイドウィンドウやしっかりしたシートを装備し、ダッシュボードにも特徴的な計器カウルが付く。全体として、ポルシェにふさわしいとフェリーが考えるモデルに近づいた。また、ウィンドスクリーンの角度は浅くなり、ルーフラインが上がったことで、フードを上げてもサイドとリアに十分なサイズの窓を確保できた。ほかの面ではスピードスターを踏襲しており、ボディとパワートレーンは他のモデルと共通で、2シーターのコクピットだ。また、フードもスピードスターと同じ1枚仕立てのため、小さく折り畳むことができ、オープンカーのラインを損ねない。最も分かりやすい外観上の特徴は、ウィンドスクリーンとルーフのシルエットだろう。一方、カブリオレの目印は2+2のキャビンである。


 
ロードスターが登場したのは、356のラインアップが最も複雑だった時期だ。ツッフェンハウゼンのロイターのワークショップは、クーペに加えてカブリオレの製造も担ったが、やがて需要に追いつかなくなったため、ポルシェはクーペの製造をオスナブリュックのカルマンにも委託した。ロードスターの製造はドラウツが行っていたが、最後期の1961年にベルギーのディトランに移る。ディトランは19世紀から続く老舗のコーチビルダーで、スチュードベーカーの製造も行い、VWとポルシェのベルギー輸入代理店でもあった。
 
写真のロードスターは、やはりハミルトンがオーストラリアに輸入し、2009年にイギリスにやってきた。スピードスター同様、悠々自適の生活を送っていたようだ。当時のオーストラリアではポルシェが珍重されていたからだろうとペイシーは話す。右ハンドル仕様でマッチングナンバーのロードスターは希少だ。現存は20台にすぎない。


 
このロードスターの存在をエクスポート56が知ったのは、あるコレクションの管理を任されたときだった。オーナーがコレクションの大半を売却した際には、ペイシーが新しいオーナーを見つけた。新オーナーはポルシェの初心者で、さっそくロードスターで南仏プロヴァンスに出掛けた。同行した友人のフェラーリ・ディーノは、残念ながら途中で息を引き取ってトラックで国に送り返されたが、ロードスターは難なくコートダジュールまで走り切った。この顧客は古いポルシェに関心がある程度だったが、以来、熱烈なファンになったという。