■入場無料のスズキ歴史館

前回に引き続き、スズキ歴史館に展示されている車両から、スズキ100周年の軌跡を振り返る後編です。

おさらいですが、スズキ歴史館(静岡県浜松市南区増楽町1301、TEL053-440-2020)は、本社前に建てられたスズキの製品を展示する博物館です。

博物館といっても有料で誰もが入館できる施設とは違い、入場無料ながら事前予約が必要な施設です。スズキの歴史を知りたい人には願ってもない場所と言えるでしょう。入館の事前予約は電話かインターネットでできます。

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スズキ歴史館の建物正面。

スズキ歴史館の入り口は、建物の正面に大きな看板があるので見落とすことはないでしょう。少々事務的な感じのする建物ですが、ためらわず入り口から入りましょう。

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スズキ歴史館のエントランス。

すると1階は広いスペースに現行型の人気車が並んでいます。建物の中央付近にインフォメーションカウンターがありますので、ここで予約したことを告げると案内が始まります。

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スズキ歴史館の1階。

3階建のうち2階はクルマの開発工程や組み立てラインを再現した展示になっています。また、「私たちの遠州」と題して浜松近郊の文化や産業、歴史も紹介されています。

今回は過去の製品を見ますので、インフォメーションカウンター向かって左にある階段を登って3階に向かいます。3階には過去の製品だけでなく、スズキが歩んできた歴史を振り返るパネルも多数展示されています。製品ばかり追いかけず、パネルにも目を通すことをオススメします。

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スズキ歴史館3階に展示されたパネル。
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スズキ歴史館3階に展示された織機とパネル。

●70年代から80年代のスズキ車

前回は黎明期から拡大を続けた1970年までのスズキ車を振り返りました。今回はその続きで、1970年以降のクルマたちから見ていきます。

まずはフロンテです。スズライトに始まった軽自動車の歴史は1967年発売のフロンテで新たなスタートを切ります。

空冷方式は変わりませんが、新たに3気筒2サイクルエンジンを開発してスポーツモデル顔負けの走行性能を手に入れました。そのフロンテは1970年に追加モデルとして「フロンテ71」を発売します。

直線基調の「スティングレイ・ルック」と呼ばれたボディは、従来の丸いモノからシャープなデザインへ大転換。近代化を感じさせました。

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1970年発売フロンテ71。

1971年にフロンテ71から「フロンテ72」へ名称変更しますが、その直前に空前絶後の2シータースポーツモデルの「フロンテクーペ」が追加発売されます。

フロントフェンダーやボンネットにFRPを採用するなど軽量化を果たすと同時に、全高1200mmと低いジウジアーロデザインのスタイルが与えられました。後に4シーター化され、前輪ディスクブレーキも採用されています。水冷3気筒エンジンは、360ccの排気量から37psを発生しました。

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1971年発売フロンテクーペ。

1973年にはフルモデルチェンジが実施されます。フロンテ360からフロンテ71、72と続いた車名が「フロンテ」に統一され、先祖返りした丸いボディは2ドアのほかに4ドアもラインナップ。リヤガラスをハッチゲートにしたことも特筆できました。また、フロンテクーペに先行採用された水冷3気筒エンジンが搭載されています。

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1973年発売フロンテ。

スズライトバンから続く商用車もモデルチェンジして、1973年には写真の「フロンテハッチ」が新登場します。乗用車のフロンテがリヤエンジン・リヤドライブのRR方式であることに対し、こちらのフロンテハッチは一般的なFRを採用していました。

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1973年発売フロンテハッチ。

1975年は公害問題やオイルショックに端を発し、排出ガス規制が強化された時代です。排気量が360ccの軽自動車に新たな排ガス規制はクリアできないほど厳しく、軽自動車規格自体が変更されます。ボディの寸法が広げられ、エンジン排気量が360ccから550ccまでに引き上げられたのです。

これを受けて1976年には「フロンテ7-S」が発売されます。全長を195mm、全幅も100mm拡大されエンジンは443ccになっていました。

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1976年発売フロンテ7-S。

この規格変更もあり、スポーツモデルのフロンテクーペは1976年に生産を終了します。

その1年後の1977年に、ボディ・エンジンとも拡大した「セルボ」が発売されました。セルボの展示はありませんでしたが、セルボをベースにした興味深いモデルが展示されていました。武蔵工業大学(現・東京都市大学)の研究室とともに開発した水素エンジンを搭載する実験車両「武蔵3号」です。

現在、トヨタMIRAIが水素から電気を作り出し一般道を走るようになったわけですが、40年以上も前に意欲的なクルマが造られていたのです。

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1979年に造られたセルボ水素自動車。

●新たな市場を開拓した「アルト」

1979年、記念すべきクルマが発売されます。衝撃的だった「アルト、47万円!」の宣伝コピーと、そのコピーどおりに驚異的な低価格で送り出された「アルト」です。

商用車登録とすることで当時15%も課せられていた物品税が非課税になるため、乗用車と比較にならないほど安価に買うことができました。主なターゲットは主婦層でしたが、発売後は主婦だけにとどまらず、幅広い層からの支持を集める大ヒットとなりました。

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1979年発売アルト。

展示では当時の製品と比較して、どれだけアルトがお買い得だったかを訴求していました。

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アルトと同時に展示されたパネル。

アルトには同じ仕様の兄弟車、フロンテが存在します。フロンテは乗用車でしたのでアルトの大ヒットに隠れた存在となりましたが、さらに兄弟車として2代目セルボが誕生します。

従来のRRからFFに切り替わり、さらにセルボのリヤボディを荷台としたピックアップトラックの「マイティボーイ」まで派生します。アルトの47万円よりさらに安価な45万円の販売価格は、長らく国産車最安値を更新し続けました。

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1983年発売のマイティボーイ。

アルトの大ヒットでスズキはさらなる発展を遂げます。

当時提携していたアメリカのGMと共同開発により、久しぶりに小型車市場へ返り咲くのです。それが1983年に発売された「カルタス」で、1リッター3気筒エンジンを搭載する3ドアハッチバックモデルでした。アメリカではシボレーやポンティアックブランドから発売されました。

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1984年発売カルタス。

快進撃を続けるアルトは1984年にモデルチェンジして2代目に移行します。タイヤが10インチから12インチへ拡大され、前輪にはディスクブレーキも標準装備されるなど、大幅に改良されていました。

その翌年にはタレントの小林麻美をイメージキャラクターに起用した「麻美スペシャル」という特別仕様車も登場。女性向け仕様車の先駆け的存在だったのです。

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1985年発売アルト「麻美スペシャル」。

この代でアルトはスポーツ路線にも進出します。1985年にSOHCインタークーラーターボを採用した「アルトターボ」が、次いで1986年にはスズキ初のDOHCエンジンを搭載する「ツインカム12RS」が発売されます。

この勢いはとどまることを知らず、1987年にDOHCインタークーラーターボを搭載する「アルトワークス」シリーズが新たに加わるのです。アルトワークスの元祖となるモデルで、通常のFFのほかに4WDもラインナップされていました。写真左がアルトワークスで隣はセルボになります。

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左が1987年発売アルトワークスRS-R。

●多様化の時代へ

カルタスで小型車市場へ復帰したスズキは、次なる小型車として意欲的なモデルを発売します。

それが1988年に発売された「エスクード」で、フレームが別構造の本格4WDでありながら、いまでいう都市型SUVという位置付け。当時SUVという概念はなく、とても珍しい存在でした。エンジンは1.6リッター4気筒が採用されましたが、後に2リッターV6も追加されています。

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1988年発売エスクード。

同じく1988年にはカルタスがモデルチェンジして2代目に進化しています。GMとの提携が続いていたことを反映した世界戦略車としての位置付けがより明確になります。アメリカだけでなく世界各国で販売されたほか、ハンガリーやインド、中国で現地生産されたのです。

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1989年発売カルタス。

世界戦略の一方で、スズキは国内市場のスポーツカー復権にも力を注ぎました。アルトワークスのハイパワーエンジンを搭載するFR方式のオープン2シーターとして開発され、1989年の東京モーターショーで注目を集めた「カプチーノ」が1991年に発売されたのです。

この時期に発売された軽スポーツの中でFRを採用したのはカプチーノだけで、現在も中古車市場で高い人気を誇ります。

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1991年発売カプチーノ。

アルトで軽自動車の常識を覆したスズキが、現在まで続く新たな価値観を創出します。1993年にフロアを二重構造としたうえで全高が1640mmにもなるトールワゴン「ワゴンR」を新発売するのです。

軽自動車の狭さを克服するため、当時誰も考えなかった全高を伸ばす方法を採用して開放的な室内を実現しました。ワゴンRの発売以降、一般的なハッチバックより背の高いワゴンR型のモデルが市場を独占するようになった歴史的モデルです。

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1993年発売ワゴンR。

ヒットこそしませんでしたが、意欲的なモデルとして1995年に発売された「X-90」も見逃せません。

エスクードをベースに2シータークーペボディを与え、さらにTバールーフを採用してオープンエアも味わえるモデルでした。FRから4WDへ切り替え可能な小型SUVでしたが、3年で生産が終了しています。

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1995年発売X-90。

ミニマムなコミューターとして1999年の東京モーターショーに出品された全長わずか2735mmしかない「ツイン」は2003年に新発売されています。

大人2人が無理なく座れる居住空間を備えますが、ホイールベースは1800mmと極端に短く、最小回転半径は3.6mしかありませんでした。エアコンもパワーステアリングもないグレードで49万円という低価格を実現しながらハイブリッド車も設定。

新たな都市型コミューターを期待されましたが、市場には受け入れられず2005年に生産を終了しています。

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2003年発売ツイン。

そして最後は「スイフト」です。初代は国内向けモデルでしたが、2004年に発売された2代目は世界戦略車としての位置付けで、ボディサイズも内外装の質感も大幅に向上していました。基本構造がしっかりしていたことで、派生車のスイフトスポーツは抜群の走行性能を実現していました。

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2004年発売スイフト。

スズキ歴史館に展示されている市販車から、スズキ100年の歴史を振り返ってみました。軽自動車だけでなく、スズキが世界中でエポックを生み出してきた歴史に触れることができます。スズキファンだけでなく、多くのクルマ好きに訪れていただきたい施設です。

(増田満)