交付金は税金である、という事実

鹿児島県川辺町の地域課題を解決するための団体として、2018年7月に活動を開始した〈一般社団法人リバーバンク〉。メンバーは農作業などの仕事が終わってから夜な夜な集まって会合を開き、やりたいこと、やらないといけないことを挙げていきました。まずやらないといけないのは、お金の整理でした。

内閣府の「地方創生推進交付金」は3年間にわたって国から給付されます。3年間の予算上限は決まっていて、毎年の額やその使途も僕らが申請した計画にそって認められているため、それを厳密に守って計画通りにやっていかなくてはいけません。

予算のことやこれからの活動について議論は続く。

予算のことやこれからの活動について議論は続く。

これまで、僕が手がけてきたプロジェクトは、自分の会社の仕事にしろ、企業や行政から依頼された仕事にしろ、もちろん計画を立てて進行はするものの、実際のプロジェクト内容はやっている途中で変わっていくことがよくあります。それに応じて予算も変わり、都度調整しながらフィニッシュするというスタイルです。

秋になっていよいよ改修作業が始まった頃。

秋になっていよいよ改修作業が始まった頃。

ところが、今回は自分たちで立てた計画ではあるものの、承認され交付されれば公のものとなり、それを変更するということは基本的にはできず、宣言した通りに忠実に実行していくことが求められます。税金なんだから当たり前だと言われそうですが、机の上で立てた計画はあくまでも計画にしか過ぎません。蓋を開けてみたら想定外のことが起きるというケースのほうが多い。このプロジェクトも例外ではなく、そういう予算の使い方は初めてだったのでかなり戸惑いながらのスタートになりました。

リバーバンクの活動方針は「地域資源の再生による地域課題の解決」。廃校や空き古民家は立派な資源。これを磨き上げることが最初のミッションです。

再生後の森の学校の入り口から。

再生後の森の学校の入り口から。

廃校である旧長谷小学校の再生は主に僕が中心になり計画を始めました。建築などの部分は鹿児島のハウスメーカーから独立したばかりの若きプロダクトデザイナー〈sail〉の中村圭吾さんと、〈DWELL〉という屋号で鹿児島で家具の製作をしている川畑健一郎さんと一緒にプランを練っていきました。

完成した風景を想像してスケッチにしてイメージを共有していきました。

完成した風景を想像してスケッチにしてイメージを共有していきました。

DWELL川畑さんの工房にある場所をメンバーで実際に体験。

DWELL川畑さんの工房にある場所をメンバーで実際に体験。

実際の学校の改修では、集落で工務店を営む東大海さんが材料を手配したり工事を担当してくれました。校庭の整備や雑木の整理などはこの地域で代々農業を営んできた東敬一郎さんも入ってくれました。彼らが地域の職人さんも次々に紹介してくれたことで、どんどん進んでいきました。

これら地域資源をどう再生するかというときに、大きくひとつの指針を立てました。それは、機能的な部分は現代的にアップデートし、長年の間に溜まった不要なものは取り除いて、古いものは古いままに磨き直すこと。

そこで最初に着手したのは、その場に残っていた大量のモノの処分でした。学校には画材のバケツとか運動用具など備品や遊具が山のように残っていました。

まずは掃除と物の整理から。

まずは掃除と物の整理から。

たくさんのモノを整理するなかで驚いたのは、どちらかというと時代の新しいものから捨てざるを得なかったということ。70年代以降につくられて30〜40年経過したプラスティック製品は、触っただけでボロボロに崩れてしまい、まったく使いものになりません。それに比べて木製の机や椅子などは、古びてはいても問題なく使えます。多少壊れていても修理もすぐできるので、磨き直したりしているうちに必然的に古いものばかりが残るということになりました。

できるだけゴミを出したくなかったのは本音ではありますが、処分したモノの量といったら、廃校とこれまで改修した5軒の空き家をあわせて数十トンにものぼりました。

何度もダンプで往復しながら不要物の整理。

何度もダンプで往復しながら不要物の整理。

昭和8年の木造校舎、耐震補強はいかに?

不要物の整理が終わると、本格的に校舎の改修を始めました。計画初期の段階で耐震補強は諦めました。昭和8年に建てられた古い木造校舎なので、耐震補強にはあまりにも莫大な予算がかかることもありますが、せっかくの味のある木造の建物に鉄骨の筋交いを入れたりするとまったく別物になってしまう。それってなんだかおじいさんを無理にサイボーグにするみたいで不自然です

腐ってしまった部分の復元だけでもかなりの修復作業。

腐ってしまった部分の復元だけでもかなりの修復作業。

そこで木造校舎は傷んでいる部分の修復のみにとどめて、かつての姿に戻すことにしました。もともと日本の教育の原風景を残そうとして始めた活動でもあるので、僕らはこれをリノベーション(刷新)ではなく、リ・ハビリテーション(本来あるべき状態への回復)と考え、使いながら保存する「動態保存」という方向性をみんなで確認しました。

廃校前の姿に戻った講堂。

廃校前の姿に戻った講堂。

印象的な廊下はレトロなLED照明を追加しただけにとどめた。

印象的な廊下はレトロなLED照明を追加しただけにとどめた。

具体的には、建てられてから80年以上の歴史のなかで、コスト重視で修理して新建材が使われたりしている部分を、昔の写真などの資料を見ながら極力建造当時のかたちに戻していきました。

玄関のドアは資料をもとに復元。

玄関のドアは資料をもとに復元。

一方で敷地にもう1棟建っている鉄筋校舎はリノベーションし、宿泊が可能になるよう用途変更をすることにしました。

構造はしっかりしていたものの外壁や階段の傷みが目立つ鉄筋校舎。

構造はしっかりしていたものの外壁や階段の傷みが目立つ鉄筋校舎。

古びてひびが入ってしまっていた外壁や内装は、ボランティアのみなさんも募ってDIYで塗装しました。だいぶ傷んでいたトイレも整備し、宿泊者用にシャワーブースも新設。もともとあった五右衛門風呂も薪小屋をつくり直し、使い勝手がいいように手直ししました。

生まれ変わった鉄筋校舎。

生まれ変わった鉄筋校舎。

昭和も終わり頃になると給食センターからの配送になって給食室(キッチン)は撤去されていたので、キャンプやイベントのときに使えるようにガーデンキッチンを新たにつくることにしました。

校庭に新設した明るいガーデンダイニング。

校庭に新設した明るいガーデンダイニング。

手伝ってくれた川畑健一郎さんが自分の工房につくっていた半屋外のスペースをモデルに、森の学校でのキャンプにも使え、同時に40人くらいは屋根の下で食事ができるようなガーデンキッチンとダイニングを一緒に計画。ロングテーブルやベンチもDIYでつくりました。

ファイヤープレイスやシンボルツリーの根本にはジャイアントファニチャーを。

ファイヤープレイスやシンボルツリーの根本にはジャイアントファニチャーを。

自分たちでできることは極力DIYで。

自分たちでできることは極力DIYで。

玄関口である校門や校庭の整備も極力地元で活動している職人さん(この地域は仏壇職人が多く暮らしていることで有名で、木工や彫金の職人さんがいまもたくさんいます)にお願いして、門柱のロゴを取り付け、植栽は地域の植物を中心につくり直しました。

仏壇の彫金職人さんに真鍮でつくってもらった校門のロゴマーク。

仏壇の彫金職人さんに真鍮でつくってもらった校門のロゴマーク。

ふらっと立ち寄った人でも静かな時間を過ごしてもらえるように、校庭にはバリケードやガーデンテーブルの造作も計画しました。

見た目よりも、見えないインフラ整備が大変だった

こういった作業を計画するのはとにかく楽しい作業でした。一方、裏では当初考えていなかったような想定外の問題もたくさんありました。

昭和30年代の調理室の工事風景。

昭和30年代の調理室の工事風景。

最も大変だったのはインフラ整備の問題でした。まず、もともと学校だったところに人が泊まっても大丈夫なようにするには、「学校」から「旅館」もしくは「簡易宿泊所」への用途変更が必要です。ところがその申請をしに役所に行ったところ、変更するにも元の登記(用途の登録)がなされていないということが判明したのです。

よく考えてみたら戦前に建てられたということは、法律どころか憲法すら「大日本帝国」時代のもので全然違います。さらにその当時は学校をほかの用途に転用するなど考えたこともなかったでしょうから、学校は学校。登記なんて必要がなかった。

学校に残っていた昭和30年代の写真より。

学校に残っていた昭和30年代の写真より。

今の建築基準法に照らして変更すべき建物の用途が確定できない。どころか登記されていないということは、現在の法律上は存在しない建物ゆえに「変更」もできない。というややこしい状況がわかったのです。

廃校は法律的には使っていない建物なので、この場合「不確定申請」というものをまずやって、なんでもない建物だよということを「確定」させるというよくわからない申請をしてから、あらためて用途を変更します。

建築系の仕事をしている人だったら常識なのかもしれませんが、そんなことをなにもわからないのでいちいちびっくりしながら、建築を担当してくれている中村さんと一緒に、書類の不備を修正しに県の監督課に通う日々が続きました。

やっとその目処が見えてきたところで次に大問題になったのは浄化槽です。これくらいの過疎地域になると下水は整備されていませんから、いまの法律上、排水や汚水は施設内で浄化してから流さなければいけません。もともとこの学校には小さな浄化槽はついていましたが、宿泊やキッチンを増設して法律に準拠するとなると、それに対応できる大きく高性能なものを入れなければいけないという指導がなされました。

交付金を申請したときにも一応予算は考えていましたがあらためて行政の基準に従って見積もったところ、業者さんからはその10倍くらいの金額が出てきて一同唖然。目を疑いました。なんとポルシェが1台買えるほどの金額だったのです。

見えない部分の予想外の大工事。

見えない部分の予想外の大工事。

ほかにもシャワーブースを設置しようとしたら、これまで引き込んでいた水道管の口径が小さすぎて水圧が足りない、電気の容量も足りないので増設しないといけない、消防や保健所の対応や校庭の排水の問題など、目に見えないインフラの問題ばかり。

いくらなんでもそれを全部まかなう予算は、もともと申請していないので出てこない。最終的に改修計画をあちこち変更して、当初思い描いていたものをいろいろと諦めることで法律に準拠するようなかたちにはなりました。結局そこまでで半年近くの時間がかかってしまい、実際に改修作業に入るのは秋からということになってしまいました。

初年度諦めたことのひとつに、学校を取り巻く森の整備がありました。この廃校は360度森に囲まれた環境にあります。この数十年は人工林に変わってしまっていて、さらにこの30年ほどは間伐もされず、ほとんど手が入っていない放置林になっています。

森の調査に入る。

森の調査に入る。

この森を再生して子どもたちが森の中で安全に遊んだり、ツリーハウスやウッドデッキをつくってそこでキャンプができるようにしたい。この構想はぜひ実現したかった。周りの森は学校の敷地ではなく細かく区分されて、それぞれに地主さんがいるということもわかっていましたから、その方々に交渉して使えるようにしないといけない。

こうした地域の山林ではよくあることですが、名義変更もしないまま亡くなってしまっていたり、家族から相続しても持っていることを知らなかったりすることもあります。すでにこの地域に暮らしていない地主さんもいるのでそれを探して、ひとりひとり事情を話して使わせてもらうというのはかなり大変な作業です。しかし、大もとのインフラ整備にも手間取っているので、その作業までなかなか手が回らずコストもかけられない。

古い写真と地籍図をもとに走り回る。

古い写真と地籍図をもとに走り回る。

問題が多すぎて森の開拓までは無理かなと諦めかけていたところ、僕らの様子を見ていたリバーバンクの長老の有村光雄さんが、「そこは俺がなんとかしてやる」と言ってくれました。

よそからきた僕らがいきなり使わせほしいとお願いしても、ご年配の地主さんたちはすぐには認めてくれないだろう。しかし地域で古くから活動している光雄さんだったら、地主さんも話を聞いてくれる。案の定、光雄さんが地籍図片手に地域を走り回ったところ、あっという間に話はまとまってしまいました。あとは木を切るなりつくりものをするなり好きにしろと。こういうことはいくらがんばっても、よそ者の僕らにできることではありません。地域で暮らしている人たちの生活能力の高さに、まち育ちの僕らは圧倒される日々が続いているのでした。

学校の改修はその後、地域の人や学生、子どもたちも参加してくれて、これまでで総勢のべ200名近いボランティアの人たちと一緒に作業が続いています。

ボランティアの中には地域の子どもたちも。

ボランティアの中には地域の子どもたちも。

校庭にはハーブを植えたりするようにコンテナファームもつくりました。畑は地域の農家の人たちに教わりながら拡張しようと話し合っています。湧き水が湧いている校庭にはメダカも泳ぎ、クレソンなども採りきれないくらい自生しているので、もう少し快適にしてあげてビオトープになるように整備しようとしています。

学校の敷地に流れる沢。

学校の敷地に流れる沢。

光雄さんが話をつけてくれた学校の周囲を取り巻く森にも沢があり湧き水が流れているので、橋をかけたり、森でキャンプできるようにウッドデッキもこれからつくる予定です。

改修が終わった空き古民家には、移住希望の若い人たちが現れて次々に埋まっています。森の学校にも管理人として東京から若いメンバーが移住してきてくれました。僕らの活動に共感してアルバイトを始めてくれた学生のメンバーも加わり、少しずつにぎやかになってきました。

この原稿を書いている今、僕は新型コロナウイルスの感染拡大防止による緊急事態宣言が出て、ダブルローカルのもう一方である関東の家での在宅も1か月を超え、鹿児島に戻れずにいます。

今も毎日のようにリバーバンクのメンバーとは連絡を取り合い、次はどこに手を入れようか、またみんなが集まれるようになったときにはどんな催しがあるといいのか。そんなことを話し合いながら暮らしています。

まだまだやりたいことは半分も終わっていません。僕らは昔の暮らしを学び、長老たちは今を学ぶ。未来のことはわからない。森の学校をきっかけに川辺高田地区の集落にできた第3のコミュニティはいまもゆっくりと育っています。

information

一般社団法人リバーバンク

Web:https://riverbank.jp/

writer

Shuichiro Sakaguchi

坂口修一郎

さかぐち・しゅういちろう●BAGN Inc.代表/一般社団法人リバーバンク代表理事音楽家/プロデューサー。1971年鹿児島生まれ。93年より無国籍楽団〈ダブルフェイマス〉のメンバーとして音楽活動を続ける。2010年から野外イベント〈グッドネイバーズ・ジャンボリー〉を主宰。企画/ディレクションカンパニー〈BAGN Inc.(BE A GOOD NEIGHBOR)〉を設立。東京と鹿児島を拠点に、日本各地でオープンスペースの空間プロデュースやイベント、フェスティバルなど、ジャンルや地域を越境しながら多くのプレイスメイキングを行っている。2018年、鹿児島県南九州市川辺の地域プロジェクト〈一般社団法人リバーバンク〉の代表理事に就任。