学校という存在の“ありがたさ”を痛感する日々

わたしが住む北海道岩見沢市では、5月12日から小中学校の分散登校が始まった。週のうち数日、時間も短縮だが、それでも心からありがたいと思った。わが家の子どもは3人。長男が小学4年生、長女が小学1年生、次女が2歳。

これまで息子が学校に通う様子を見て、義務教育に関して疑問を投げかけるような発言もしてきたが、いつも決まった時間に登校でき、子どもと真剣に接してくれる大人がいるおかげで、わたしも夫も自分の仕事に集中する時間が得られ、子どもたちも家庭とは違う世界を持てるということが、家族によいバランスをもたらしてくれていたことを思い知らされた。

もちろん分散登校を手放しで喜べるわけではない。新型コロナウイルスの感染拡大がいつ収束するのか見えないなかで、子どもを学校へ通わせるのはリスクをともなう。

いまのところ市内の感染者はわずかであり、子どもたちが通う学校は全校児童が40名にも満たないこと、そして何より、そろそろ子どもを家だけで見続ける限界を感じ始めていたことから、わたしは登校させることにした。

北海道も春本番。水はまだ冷たいが、子どもたちは水遊びが大好き。

北海道も春本番。水はまだ冷たいが、子どもたちは水遊びが大好き。

振り返ってみれば、北海道にはいち早く独自の緊急事態宣言が出され、前触れもなく学校は休校。そこから春休みへと突入した。

最初、わが家は案外楽観的だった。長男は、学校が休みになって宿題から解放されてうれしそうだった。

わが家の場合、夫の仕事は不定期。休校中の子どもの世話は夫がメインでやるというのが、ぼんやりとではあったが夫婦の了解事項となっていた。わたしは、東京の出版社などから依頼された編集の仕事がたまっていたため、昨年から借りている自宅から徒歩10分の仕事場に通って作業を続けた。

仕事場の裏にある山ではネコヤナギの花が開いていた。

仕事場の裏にある山ではネコヤナギの花が開いていた。

ただ、2週間ほどして、夫はお酒の量が増えていき、怒りっぽくなっていった。また子どもたちも兄妹でずっといるとケンカが絶えず、仕事場から戻ってくると、負のオーラのようなものが家に充満していることもあった。

もちろん、夫も子どもたちが楽しめるようにいろいろ工夫をした。新しいおもちゃや子どもが楽しめそうな勉強ドリルを買ったり、以前より回数は減らしているものの、ときには祖父母の家に連れて行って、子どもたちに息抜きをさせたり。

しかし、育児は思い通りにならないことばかりだ。よかれと思って遊びや勉強を提案しても、子どもがぜんぜんノってこないことも多く、イライラがよけいに募る場合もある。おまけに、この時期はコロナウイルスの情報が錯綜し、わからないことも多くて、ニュースを聞くたびに気持ちが暗くなっていった。

仕事場に通っているとはいえ、夫が買い物をするときなどは、家で作業。パソコンを開きつつ、子どもを横目で見つつ。

仕事場に通っているとはいえ、夫が買い物をするときなどは、家で作業。パソコンを開きつつ、子どもを横目で見つつ。

負のオーラが家に吹き荒れるなか、4月初旬、学校が再開されることとなった。長女は新1年生。入学式のために買ったワンピースに袖を通し、大きなランドセルをカタカタ振るわせながら登校した。マスク着用、お互いに距離を保つことなど、子どもたちにとっては難しいことが多いなかではあるが、それでも新しい世界が始まることに目を輝かせる姿は、本当に眩しかった。

北海道の桜は3日ほど花をつけたら、あっという間に散ってしまう。

北海道の桜は3日ほど花をつけたら、あっという間に散ってしまう。

学校がある日は、2歳の次女も保育所に行ってもらうことにした。起伏がなく曜日の感覚も消えてしまうような日々に、適度な緊張感とリズムが生まれ、当たり前の日常が戻ってきたことで、わが家は救われた。

一方で、都市部の感染者数が増えていき、緊急事態宣言が出されるのではないかという話が持ち上がっていた頃だった。東京に住んでいる友人たちは次第に深刻さが増していき、「北海道は学校を再開して大丈夫なの?」と言われることも多くなった。

こんな言葉を投げかけられるたびに、心拍数が上がる想いがした。確かに学校に通わせれば、子どもたちの感染リスクは高まる。「心配であれば休ませてもよい」という教育委員会からの通達もあった。自主休校という選択もあるわけで、「自分がラクをしたいから子どもを学校に通わせているのではないか?」という後ろめたい気持ちがつきまとった。

仕事をすべて夜にやれば、学校を休ませることもできるかもしれない。フリーランスだから、仕事を断ることだってできるかもしれない。

そんなことを考えるたびに、悲しい気持ちに襲われた。

2度目の休校、また負のオーラに包まれた日々に戻るのか?

全国に緊急事態宣言が出され、学校はあっけなく2週間で終ってしまった。2度目の休校の知らせをメールで受け取ったとき、わたしは思わず体をのけぞらせ天井を見つめた。3月の頃と同じような日々に戻ることはできない、心で緊急サイレンが鳴っていた。

そして、わたしは何かに取り憑かれたように部屋を片づけ始めた。おもちゃを分類し、種類ごとにタッパーや箱などにつめ、できるだけ子どもたちが遊びに飽きないような工夫をした。

また、図書館が閉まっていたのでマンガ本を全巻大人買いした。長男はマンガや小説を読むと、いつまでも集中しているので、読むのに時間がかかりそうなものを選んでみた。

長男はマンガを読んでいると話しかけても聞こえない。

長男はマンガを読んでいると話しかけても聞こえない。

さらに、わたしはついに仕事の時間を減らすことにした。3月の休校のときは、夫に日中の育児を放りっぱなしだったことを反省した。そして、毎週水曜日は子どもたちと仕事場でお泊まり会をし、夫がひとりになれる時間をつくることにした。この日は家庭学習もお休みにして、基本的には何をしてもいいということにして、子どもたちにものびのびしてもらおうと思った。

そして、ありがたいことに、仕事場のお隣に住んでいる陶芸家のこむろしずかさんも育児を手伝ってくれた。休校中は、ほとんど親としか接していないこともあって、「しずちゃん、しずちゃん」と言って、子どもたちは彼女に会うことを本当に楽しみにしていた。

この仕事場お泊まり会は、多少なりとも状況の改善につながった。夫も気持ちがクールダウンできるようで、学校とはまた違うリズムが家庭内に生まれるようになった。

仕事場お泊まり会では、食事も少し贅沢に。市内の飲食店が始めたテイクアウトを注文。

仕事場お泊まり会では、食事も少し贅沢に。市内の飲食店が始めたテイクアウトを注文。

しかし、コロナ禍での精神状態はアップダウンが激しく、ようやく新しいリズムができてきた矢先に、わたしは精神的に追いつめられてしまった。

きっかけは些細な言葉だった。友人と電話で話しているときに「休校を利用して、子どもにこれまでにない新しい学びをさせたらいいんじゃない?」と言われたことだった。いつもだったら「それもいいかも!」とリアクションできるはずだが、言葉がどんどん重くなってうまく返答できなくなってしまった。

電話を切ってから、とにかく悲しくなってしまった。仕事を継続しつつ、子どもの相手をできる限りする。それ以上何かすることはもうできないと思えた。

その日は、ちょうど仕事場お泊まり会。夜、子どもたちに絵本を読みながら、涙がほほを伝っていった。

「なんで泣いてるの?」

そう子どもに聞かれたが、答えが何も見つからなかった。

仕事の締め切りを諦めるという決断

そんなことがあってから、わたしはいくつかの仕事を諦めた。いま関わっているのは長期プロジェクトが多く、明確な締め切りが設定されているわけではない。もちろん、わたしの作業が遅れるのは先方にとっては困ったことと感じられるだろうが、もう焦ることはやめようと思った。

子どもたちがつくったパソコン(!?)。わが家にはテレビもないし、ゲーム機もないため、つくるしかなく……。

子どもたちがつくったパソコン(!?)。わが家にはテレビもないし、ゲーム機もないため、つくるしかなく……。

そして、いつも仕事と家庭の優先順位をどうつけたらいいか迷い苦しんできたのだが、家庭の比重を高めにすることにした。

同時に、これまで仕事と育児に追われまったくできていかなった、本を読んだり、お風呂にゆっくりつかったりという時間もわずかながらに設けるようにして、締め切りのことはできるかぎり考えないように努めた。

それがよかったのか、わが家には少し平穏な空気が戻ってきた。夫が怒りっぽくなったと思っていたが、同じくらいわたしもピリピリ、イライラしていて、負のオーラを増長させていたことに、このとき気がついた。

週末は子どもたちとピクニック。仕事場の裏山で山菜探し(過疎地なので誰にも会わない)。

週末は子どもたちとピクニック。仕事場の裏山で山菜探し(過疎地なので誰にも会わない)。

それを自分たちで料理(でも、苦みがあるので子どもたちは食べない)。

それを自分たちで料理(でも、苦みがあるので子どもたちは食べない)。

こんな様子で、わが家はなんとか持ちこたえている(いるかな?)。ただ、住んでいる地域が過疎地で、家のまわりは空き地だらけで子どもたちはいつでも外で遊べるし、経済的な負担が少なく仕事場も借りられたことなど、都会のマンション暮らしで子育てをしながら在宅ワークをしている人たちから見れば、とても恵まれた環境であることは確かだ。

もしかしたら、わたしの大変さなど、ほかのみなさんに比べれば、小さなものなのかもしれないとも思う。

それでも、やっぱりしんどい。わが家が学校に頼りすぎていたのか、別の仕事の仕方があるのか、いまは考えがまとまらないが、コロナ禍にあって、ここから何かを大きく変えていかなければならないことだけは感じとっている。

仕事場と家とを往復していると猫に出会う。3人と3匹は気が合うようだ。

仕事場と家とを往復していると猫に出会う。3人と3匹は気が合うようだ。

writer profile

Michiko Kurushima

來嶋路子

くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。http://michikuru.com/