子育てに対する苦手意識を自覚して

先日、コロカルで連載をしている、小豆島の三村ひかりさんと下田の津留崎徹花さんと、Zoomでトークをする機会があった。いずれも東日本大震災がきっかけで地方移住した仲間で、あらためて“震災”と“コロナ”とを対比しながら考えるきっかけになった。

このときわたしは、東日本大震災で社会の構造に疑問を感じ、意識が「外」に向かい、コロナ禍では、家族と自分という「内」に目が向いたと語った。

トークのあと、「外」から「内」へ意識が向いた訳を考えるなかで、自分の心にずっとひっかかっている“しこり”のようなものがあることを自覚するようになった。言葉で表しづらいのだが、子育てに対する苦手意識というようなものだ。

この連載で、緊急事態宣言により学校が休校となり、子どもが家にいつつ仕事もしつつという状況の「しんどさ」について書いたことがある。当時は、仕事が忙しいから子どもと向き合う時間がとれないことが辛いと、仕事のせいにしていたのだが、実はそうではなかったと思うようになった。

緊急事態宣言で休校が続き、3人の子ども(9歳、5歳、2歳)の相手をしながら仕事もしていた。

緊急事態宣言で休校が続き、3人の子ども(9歳、5歳、2歳)の相手をしながら仕事もしていた。

苦手意識がある要因のひとつは、生まれ育った環境にあると思う。わたしはひとりっ子で親は共働き。思い返すと、ひとりでいた記憶が多い。カミナリが激しく鳴り響き、窓に落雷するのではないかと、家の真ん中でひとり恐怖に怯えていたり、マンションの階段はいつも薄暗くて家に入れず、駅で母の帰りをずっと待っていたり。とにかくひとりでどうやって時間をやり過ごすかに、毎日挑んでいた。

そんなわたしが、3人の子どもの母となった。家で仕事をしていると、5分おきに代わる代わる「母ちゃん〜!」と話しかけられ、うっかりするとスマホや眼鏡が破壊され、つねにどこかで物の取り合いが勃発し、家の中はいつもカオス。

以前に「なんでケンカしているの?」と子どもたちに聞いたら「楽しいから」という返事には驚いた。兄弟ゲンカ未体験なわたしにとって、ケンカによってコミュニケーションしているというのは意外なことだった。

あるとき、ケンカをしている子どもたちを前に呆然としていたら、夫に「なんで止めないんだ!」と言われたことがあって、どうやって止めたらいいのか、わたしにはよくわからないことに気がついた。

大雨のなか、外に飛び出し、雨(滝のつもり)に打たれて、謎の修業をする子どもたち。

大雨のなか、外に飛び出し、雨(滝のつもり)に打たれて、謎の修業をする子どもたち。

いま書いたような、自分の家庭環境と現在の環境との違いを客観的に見たことは実はこれまでほとんどなかった。

それよりも、子育てがしやすい環境づくりという「外」に意識が向いていた。田舎で暮らし始めて、食の安全に目を向ける生産者さんから食材を直接調達ができるようになったことに喜びを感じた。通っている保育園や学校はどちらも少人数。親同士も顔の見える関係だし、先生もひとりひとりと向き合うことができることがすばらしいと思った。

なにより、子どもが家で飛んだり跳ねたり騒いだりしても、誰からも苦情がこないことに安堵した。都会からの移住によって、もう子育ての環境は、これ以上、望むことはないくらい整っていた。

家の前の倉庫がジャングルジム代わり。いつでもどこでものびのび遊べる。

家の前の倉庫がジャングルジム代わり。いつでもどこでものびのび遊べる。

苦手意識を受け入れたときに、何かが変わった

それでも、わたしには「しんどさ」が残った。コロナ禍になって、思いがけず子どもと過ごす時間が長くなったことで、これはもしかしたら自分に何か問題があるのかもしれないと思うようになっていった。いままでであれば、環境を変えたり、新しいことを始めたりすることで「きっと何かが変わって、自分も変われるに違いない」とほかに依存してきたのだが、そうやって解決できる部分は、もうあまりないのかもしれないと思った。

「あと、2割だな」

なぜだかわからないのだが、ふとそんな言葉が浮かんだ。あと2割、自分の中に問題が残っていると感じられたのだ。

北海道に、独自の緊急事態宣言が初めて出されたのは2月末。地面は雪に覆われていたが、北国にも遅い夏がやってきた。

北海道に、独自の緊急事態宣言が初めて出されたのは2月末。地面は雪に覆われていたが、北国にも遅い夏がやってきた。

3人の子どもたちが巻き起こすカオスにどう対処したらいいのか、実のところ、わたしにはよくわからない。いままでであれば、そんなことを口に出すことはできなかったかもしれない。この連載ではできるだけ、自分たちの暮らしの明るい部分について書いていきたいと思っていたし、心のどこかで、いい母親だと、まわりから思われたいというプライドみたいなものもあったように思う。

わたしが子どもの頃、ロウを溶かしてキャンドルづくりに熱中したことがある。それを子どもたちに教えたら、楽しそうにつくっていた。

わたしが子どもの頃、ロウを溶かしてキャンドルづくりに熱中したことがある。それを子どもたちに教えたら、楽しそうにつくっていた。

それが不思議と今回は、素直に苦手を認められたのだ。そして、苦手意識を克服するよりも、自分の個性としてそれを受け入れてはどうかと考えるようになった。誰かに子育てのことに意見を言われたりすると、過剰反応したり、気にしすぎたりしてしまうのだが、感情がそうやって激しく動くのは、わたしらしさが表れている部分とも言える。

また、もしかしたら苦手だったからこそ、子どものよりよい環境を求めて、人口400人に満たない過疎地への移住という、極端な決断ができたのかもしれない。仮に子育てが得意であったら、都会でも十分幸せを感じながら過ごしていた可能性もなくはない。

こんな心持ちになってから、2週間ほど過ぎた。その間、夫が頸椎の手術で10日ほど入院するという事態が起こった。緊急事態宣言に続く試練で、仕事と家事で体力的にはかなり消耗したが、友人に助けてもらいながら、比較的穏やかな気持ちで過ごせたように思う。

そして、苦手を克服しようとがんばりすぎないでいると、日々の小さな出来事に深く喜びを感じられるようになった。もうすぐ10歳になる長男は、本格的な反抗期を迎えて、ときおり激しくわたしに当たる。そんな彼だが、最近お菓子づくりにハマっていて、数日前にシフォンケーキを焼いて、みんなに振る舞ってくれた。

長男が卵白を白くなるまで必死に泡立てて、ふんわりとふくらんだ。

長男が卵白を白くなるまで必死に泡立てて、ふんわりとふくらんだ。

ふわふわに焼き上がったケーキを頬張りながら、わたしは何度も「おいしいね」とつぶやいた。彼は漫画を読んでいて聞いているのかどうかわからなかったが、わたしはじんわりと温かな気持ちに包まれていた。

そして、苦手かどうかよりも、ケーキのおいしさを、いま心の底から喜べればそれでよし(!)なんじゃないかと、妙に納得することができた。

震災を経て移住をし、いまコロナ禍によって、こんな心境になった。心の中にある2割の問題は、これからどうなっていくのかわからないけれど、大事に胸に抱えながら暮らしていきたいと思っている。

夫の退院の日、長女が折り紙で「おかえり」という旗をつくってくれた。

夫の退院の日、長女が折り紙で「おかえり」という旗をつくってくれた。

writer profile

Michiko Kurushima

來嶋路子

くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。http://michikuru.com/