コロナ禍で見直されるようになった「働き方」。テレワークや副業をする人も増え、ワーケーションという言葉もよく聞かれるようになりました。伊豆下田に移住した津留崎さんは、そんな働き方について、あることに気づいたそうです。
先日のこと。地元の高校生数名と先生がわが家を訪れました。我々のような下田への移住者がこのまちのどこに魅力を感じて移住してきたのか? を聞きたいとのことでした。
知人を通じて連絡が入り、そのような場を設けることに。この連載をしていることもあり、いままでもさまざまな場で「移住」について話をしてきました。でも、高校生相手に話をするのは初めてのこと。家にやってきた高校生たちのフレッシュさになんともうれしくなってしまいます。
現在、下田市内には高校は1校のみ。2校あった県立高校が少子化の影響で2008年に合併して1校になりました。
下田を含む伊豆半島に大学はありません。専門学校はいくつかはありますが、選べるほどはないです。という状況なので、ここ下田では高校卒業後、進学を選ぶ学生たちの多くは東京方面に移り住むことになります。
そして、ほとんどの学生がそのまま東京周辺に残り就職するそうです。下田には東京に比べたら仕事がないという現実もあり、そういう選択をするのでしょう。
そんな下田の現状もあり、地域の高校生にとってみると、なぜわざわざ東京から下田に移住してくるのか? 理解できない部分があるのかもしれません。自分がこの地で生まれていたら同じように感じていた気もします。
下田市は人口2万人ほどの小さな港町です。下田出身の人に聞くと、地元に残ったり戻ったりするのは1〜4割程度とのこと(世代によってバラツキあり)。多くの地方で問題となっている人口減少や高齢化は、若者が進学をきっかけに都会に出て地元に戻ってこないことに原因があると聞きますが、それを実感する数値です。
ということで、下田の高校生たちに、なぜ東京から移住しようと思ったか? なぜ下田なのか?そして、移住して感じるこの地の魅力、などなどをお話しました。
下田の海は温かい! ということで10月まではちょくちょく入っていたのですが、11月になりさすがに入れなくなりました。でも、海に行くのは気持ちよくてやめられず、最近は自転車であちこちのビーチをウロウロしてます。そんな海が近くにあるというのがやはり大きな魅力のひとつです。
この連載では何度も書いていますが、東日本大震災を通じて、日常生活のほとんどの行為を「経済活動」に依存している状況に疑問を持つようになり、東京からの移住を考えるようになりました。この疑問がなければ、東京生まれ東京育ちの自分たちが「米をつくる!」なんて考えるようにはならなかったと思います。
新米を食べる日々が始まりました。娘が学校の行事で開いたアジの干物と妻が田んぼで出る稲わらでつくった納豆で新米をいただく。質素ですが、これ以上ないと感じるほどのごはんでした。
でも、いまの高校生は東日本大震災のとき、物心つくかつかないかという年頃です。震災で価値観が変わった世代ではないのでしょう。
でも、まだまだ止む気配のない「コロナ禍」も、多くの人たちの価値観を変えた出来事といえます。震災を知らない高校生たちもコロナ禍には相当の影響を受けたことでしょう。
そんなコロナ禍を経て、注目を集めている「地方」と「働き方」の話もしました。
コロナ禍(と、同時代的にやってきたITの進歩)でガラリと変わった働き方や価値観。業種によってはテレワークが当たり前になり、その流れで観光地でテレワークをする「ワーケーション」(ワークとバケーションを合わせた造語)という働き方もよく聞くようになりました。
一般的にはコロナ禍をきっかけに注目を集めたワーケーションですが、ここ下田ではコロナ以前からワーケーションに可能性を見出していて、昨年にはワーケーション施設〈LivingAnywhere Commons IZU-SHIMODA〉がオープンしていました。
ワーケーション施設の利用者は都内のクリエイターやフリーランス、起業家がメインで、コロナ禍になってから利用者数が倍増。施設の利用者は、半日は仕事をして、半日は観光やレジャーを楽しむ、というような過ごし方をしているそうです。
例えば、午前中は仕事で、午後は海でレジャー。そんなことができてしまうのがワーケーションの醍醐味。
また、数年前から注目を集め始めていた「副業」もコロナ禍によってさらに身近になった働き方といえます。
コロナ禍にあっては、大企業でさえ、いままでと同じような給料が確保できないという厳しい現実もあり、副業解禁の動きがあったようです。
また、こうした想定外の状況になると、ひとつの業種に身を置いているリスクを感じることも多くありました。収入を補填する意味でも、リスクの分散という意味でも副業という働き方が注目を集めているのかもしれません。大企業に勤めていたら一生安泰……そんな時代ではなくなった、ということなのでしょう。
そして、あらためてこうしたコロナ禍を経て浸透したともいえるワーケーションや副業という働き方について考えていて、気づいたコトがあります。
それは都会ではコロナ禍をきっかけに広がったともいえるこれらの働き方が、ここではコロナ禍以前から当たり前にある働き方だったという事実です。
どういうことか?
例えば副業についてだと……下田の主幹産業である観光が季節による波のある業種ということもあって、それを補うかたちでさまざまな仕事を組み合わせて生計をたてるのは当たり前のことなのです。
例えば、知人たちを考えてみても、
「宿泊業と漁師」
「宿泊業とデザイナー」
「飲食店とライター」
などなど、多くの人が副業に取り組んでいます。
この連載にも何度か登場している漁師の飯田竜さんは宿泊業(〈貸別荘飯田〉)も営んでいます。(写真:津留崎徹花)
ワーケーションについても……下田はサーフィンや釣りといったさまざまな海のレジャーが盛んな地域です。出勤前にサーフィンに行ったり、夕方仕事が終わってから釣りに行ったり、という人が当たり前にいます。
また、出勤前や仕事後とまでいかなくても、オフの日に地元でレジャーを楽しむ人はかなり多くいます。これ、実はワーケーション施設に滞在している人たちと近い働き方なのです。
下田の知人たちのSNSでは、日常的に、海の写真やサーフィンや釣りのことなどの「バケーション」な投稿を見かけます。
コロナ禍を通じて注目を集めている「副業」「ワーケーション」といった働き方が、実はここでは当たり前だったのです。東京での働き方、価値観が地方的になってきたということか?
東京にいた頃は休日になると「都会を離れたい!」とよく出かけていましたが、いまは近所でのんびりと過ごすことがほとんどになりました。「密」になるストレスも皆無で過ごしやすいです。
高校生たちにはこうした動きはどう感じられるのだろうか?そんなコトも考えながら高校生たちに、「地方」が注目を集めていること、地方での働き方の話をしました。将来のことや働き方について考えるうえで、何か参考になるような話となっていたらうれしく思います。
今年は庭の柿の木に柿がたくさんなりました。おいしくてあっという間に食べ尽くしてしまった。来年が楽しみです。こうした楽しみも地方ならではかもしれません。
高校生たちが、僕らの話をまとめて何らかカタチにしてくれるそうです。このまちを移住先として選んだ僕らの話を聞いてどう感じたのか? カタチになったものを見るのが楽しみです。
今晩のおかず、釣れましたか〜? 東京の会社員だと満員電車に揺られている頃かもしれません。「豊かさ」ってなんだろう? と考えてしまいます。子どもたちにはさまざまな「生き方」の選択肢を教えてあげることが大切なのでしょう。
text & photograph
Shizuo Tsurusaki
津留崎鎮生
つるさき・しずお●1974年東京生まれ東京育ち。大学で建築を学ぶ。その後、建築家の弟子、自営業でのカフェバー経営、リノベーション業界で数社と職を転々としながらも、地方に住む人々の暮らしに触れるにつれ「移住しなければ!」と思うように。移住先探しの旅を経て2017年4月に伊豆下田に移住。この地で見つけたいくつかの仕事をしつつ、家や庭をいじりながら暮らしてます。Facebook Instagram