野村パターソンかずたか vol.4

北海道旭川市で、リノベーションや不動産事業を営みながら、アーティストインレジデンスなど地域の文化事業を企画・運営する、野村パターソンかずたかさんの連載です。元ミュージシャンで世界の都市を巡った背景から、地元・旭川市にて多様なコンテンツをしかけています。

今回は旭川市と稚内市をつなぐ国道40号線沿いにある歯科医院が、コワーキング&イベントスペースにリノベーションされた事例をお届けします。

苦境の先に希望は見えるか

旭川がまた有名になっている。感染拡大が止まらない新型コロナウイルスの猛威によって引き起こされた複数の病院クラスター。旭川という字面が頻繁にメディアに上がり、見慣れていたはずの市長がどこか遠くの人になってしまったようだ。

市内の中心部にひしめく飲食店のネオンサインと誰も歩いていない通りのコントラストは世紀末を感じさせ、SF小説の世界観が突然この小都市にやってきたような錯覚すら覚える。

空き店舗の看板が増えているのは気のせいではない。これまでもずっと空いていた店舗に借り手募集の看板が出ている。物件を放置する余裕のあった人々も切羽詰まってきたのか、それとも不景気が引き起こす店舗のダウングレードなどの引っ越し需要を見越してのことだろうか。

ここから地方の不動産はさらに変わっていくだろう。ベトナム戦争の頃に都市を脱出し地方で自給自足を始めた人々のような流れが、バブル崩壊や東日本大震災などの頃にもあったと聞いた。

豊かな自然と、価格が暴落した大量の不動産、そして人々のアイデア。苦しい状況だが、新しい指標を持つ人々の草の根運動が盛り上がることで、地方の不動産の流通、ひいてはリノベーションの流れが加速することは一筋の希望だ。

国道40号線沿いの目立つ場所に位置する〈nest co-living〉。

国道40号線沿いの目立つ場所に位置する〈nest co-living〉。

地続きの土地は高くても買え

「人の行く裏に道あり花の山」ではないが、野村家は先代からなかなかのアイデアマンで、誰も欲しがらない物件や土地に目をつけて運用していたらしい。

旭川市と稚内市を結ぶ国道40号線は全長300キロほどもあり、これを北上するだけで北海道の景色を次々に楽しむことができる。10年以上前、この国道沿いの旭川中心部から遠くないところに変形地が売りに出ていた。

長いこと売り手がつかず、ずっと空き地だった土地を父は購入し、広告を立てた。交通量は市内でもトップクラスだった場所なので、住居や店舗にはできなくても、広告を設置するなら効果は抜群と考えたからだろう。

ある日不動産会社から電話が入り、すぐ横の「上物(ウワモノ)ありの土地」を更地にするから買わないかという相談が来た。

土地情報で「上物あり」と書いてある場合、それは不動産会社の判断で利用が難しいと認定された建物が建っていることになる。いまでこそ「改修すればまだまだ使えます!」という触れ込みの広告は増えたが、少し前までは内部のダメージがひどいものや老朽化したものはすぐに「利用不可」の烙印を押されていた。

歯科医院兼住居。実は父からの事後報告でこの物件の購入を知った。前回の話にも通じるが、地続きの土地だし、解体する可能性も含めてあとで自分たちで考えればよいという判断らしい。父本人も具体的な活用アイデアはないようだったが、もう一度書く。それほど「地続きの土地は大事」らしいのだ。

2階建の歯科医院兼住居。レンガと大きなドアや窓枠が特徴のエントランス。

2階建の歯科医院兼住居。レンガと大きなドアや窓枠が特徴のエントランス。

名匠・佐藤武夫が設計した歯科医院が、新たな「学ぶ」「働く」場に

厚い契約書に添えられた鍵のチェーン。数十本の鍵はすべて丁寧にラベルづけされており、前所有者の人柄がこんなところからもうかがえる。機械室、医院入り口、歯科技工室など、あまり見慣れない部屋名から、この歯科医院兼住居の複雑な構造は明らかだった。

ずっしり重い鍵はジーンズのポケットを不自然なほど膨れ上がらせた。その違和感と新しい物件と出会える高揚感を身にまとい現地へと車を走らせた。

いまでは見ない木枠の背が高いドアを開けると、すぐに懐かしさがこみ上げてきた。慣れ親しんだこのまちの市役所のつくりとそっくりな箇所が多いのだ。

旭川市役所と似たつくりの入り口の造作。

旭川市役所と似たつくりの入り口の造作。

それもそのはず、実はこの歯科医院は、建築家・佐藤武夫さんが手がけた建物らしいのだ。

佐藤武夫さんは、近代建築の記録と保存を目的とする国際学術組織〈DOCOMOMO JAPAN〉に選定され、日本におけるモダン・ムーブメントの建築にも選ばれた旭川市役所の設計を手がけた建築家だ。仲介業者さんや売り主さんからうっすら聞いてはいたが、いざ足を踏み入れると納得せざるを得ないつくりになっていた。

1階は診療所、2階は住居。2階には寝室が4つあり、そのほか居間と小上がりを合わせると40畳はありそうだ。全体的な傷みは驚くほどでもないが、給湯器が故障していたり、地下水を利用していたらしいトイレはポンプの故障で使えなくなっていた。

後列左が本物件を活用する事業主・菊池佳。前列右が筆者。

後列左が本物件を活用する事業主・菊池佳。前列右が筆者。

自分で運用するには大きすぎるこの建物の将来を考えて途方にくれていたある日、現在は教育・地方創生事業を手がける〈Sanagy株式会社〉の代表を務めている菊池佳が連絡をくれた。

大学時代はニュージーランドやヨーロッパで学び、アフリカでの海外協力などを経て旭川に戻った珍しい経歴の同級生だ。僕が空き物件の運用に力を入れ始めていたことを知り、事務所物件の有無について聞きたかったらしい。

いまとなっては内覧してもらった日の記憶も薄いが、物件の面積や駐車場など、考えていた条件と合致していたこともあり、ここを事務所として使ってもらえることになった。

菊池はこの場所を〈nest co-living〉(以降、ネスト)と名づけ、旭川から「学ぶ」「働く」の新しいかたちを提案するコミュニティの場づくりに挑んだ。完成形としては1階がコワーキングスペースとカフェスペース、2階にはイベントができる居間と4つの個室にそれぞれ住人がいるという構成だ。

DIYリノベをイベント化し、みんなでつくる

そこから自分も多少手伝いながらのDIYリノベーションが始まった。

菊池のリノベーションでおもしろかったのは、それをイベント化し、リノベーションの練習を望んでいた参加者たちが集まっていた点だ。自分の物件を持たないことには、DIYを練習する機会がないところ、コミュニティイベントとして複数回開催されたこの取り組みを経て、自分の店舗のセルフリノベを手がける方まで現れた(これは次回以降で紹介する)。

居間に漆喰を塗るボランティアの高校生。

居間に漆喰を塗るボランティアの高校生。

木工業のプロを招いて行われたリノベ勉強会。

木工業のプロを招いて行われたリノベ勉強会。

最初に菊池がとりかかったのは2階の居間の壁だ。古めかしい合版と色あせた壁紙に覆われていた部屋の全体を、皆の協力をもらって漆喰で塗り直すと、いまでは子ども連れもよく訪れる「ネスト」らしい、温かみのある空間になった。

居間と直結していた小上がりの鴨居や引き戸を撤去して大きなひと部屋にし、照明はアンティークショップなどで買ってきたものと交換したらしい。40畳ひと部屋、パーティや勉強会にもぴったりな部屋となった。

2階の居間。コロナ禍のいまでこそ難しいが、昨年までは30人ほどの集まりも少なくなかった。

2階の居間。コロナ禍のいまでこそ難しいが、昨年までは30人ほどの集まりも少なくなかった。

こぎれいになった2階の寝室。

こぎれいになった2階の寝室。

居間の次は2階の寝室だ。こちらも同じように壁紙を剥がし、その上から皆で漆喰を塗った。旧所有者のお子さんが壁に残した落書きやステッカーは真っ白い壁に生まれ変わり、nest co-livingとしての新しいスタートを感じさせてくれた。

居間でのパーティの様子。

居間でのパーティの様子。

1階の改修が終わる前から2階の居間はフル活用されていた。ネストに住む人、ネストで仕事をする人、改修を手伝った人、手伝ってない人、いろんな人が出入りするようになり、vol.1で書いた「ハウスパーティ」に近いものが頻繁に催されるようになっていった。

1階に残されたパーティションを逆手にとった写真展が開催された。

1階に残されたパーティションを逆手にとった写真展が開催された。

歯科医院だった1階部分には、患者用の椅子は撤去されていたものの、水道配管は飛び出し、電線がビニールテープに巻かれてぶら下がり、空間を区切るためのパーティションなども複数残されていた。

大家である自分もモンキーレンチとバールをもって解体作業に加勢した。パーティションと床がしっかり接着していたので苦戦したが、それ以外は簡単に外れた。タイルカーペットもすべて撤去された。木工のプロを呼んだワークショップで、参加者が壁と床をすべてシナ合板に張り替えた。

シナ合板に張り替えた1階のコワーキングスペース。地域の高校生が古文のイベントを開いたりもした。

シナ合板に張り替えた1階のコワーキングスペース。地域の高校生が古文のイベントを開いたりもした。

リノベーション後の室内に当時の面影はなかった。かろうじて受付「らしきもの」の存在は残されたが、言われなければここが歯科医院だとわかる人のほうが少ないのではないだろうか。

ただそんな空間には、無骨でありながら洗練された哲学のような空気が残されていた。レンガの内壁や、いまでは見ることが少ない特注の手すりなど、旭川市役所とも共通のそれらこそが佐藤武夫建築の名残であり、その後のリノベーションの方向性に影響を与えたと言ったら言いすぎだろうか。

1階の歯科医院スペースだった約24畳には、飲み物などを提供できるキッチンが増設され、リノベイベントで小さなカフェスペースがつくられた。地下水ポンプの復旧は断念し、上水道がつながれてトイレが復活。

1階の歯科医院スペースだった約24畳には、飲み物などを提供できるキッチンが増設され、リノベイベントで小さなカフェスペースがつくられた。地下水ポンプの復旧は断念し、上水道がつながれてトイレが復活。

1階のカフェスペースでは、イベント「シゴトバー」も開催された。

1階のカフェスペースでは、イベント「シゴトバー」も開催された。

経済活動に直結しすぎない、新しいモデルの地域づくり

買主が違っていたら、更地で売り渡されて、見覚えのある控えめな新築住宅のひとつやふたつが建っていたのだろうか。どちらが良かったのかはわからない。ひとつ言えることは、この場所が解体されなかったことで、ここなしでは生まれ得なかった新しいコミュニティができたということだ。

立地条件さえ良ければ、多少老朽化した建物など壊して更地で転売するほうがよほど早く処分できることは間違いない。ただ、こうして古い建物を残し、賃料も新築と比べて大幅に抑えられることが、「経済活動に直結しすぎていない」ような新しいモデルの地域づくりが行われるキッカケにもなるのだ。

コロナ以降で市場に急増するであろう空き家・空き店舗が理解のある買主の手に渡り、日本中にこうした次の価値観を醸成できる若者のたまり場になる未来を想像する。

次は夫に先立たれて閉めざるを得なかった理容院物件を、旭川が世界に誇るバーバーカルチャーの先駆者がもう一度理容院として復活させたお話です。

information

nest co-living 

住所:北海道旭川市旭町1条3丁目

Web:https://www.nest-coliving.com/

writer profile

Kazutaka Paterson Nomura

野村パターソンかずたか

のむらパターソン・かずたか●1984年北海道生まれ。旭川東高校卒業後に渡米し、 コーニッシュ芸術大学作曲科を卒業。ソロミュージシャンとして全米デビューし、これまでに600本以上の公演を行う。2011年に東京、2015年にニュージーランドへ移住し、IT企業で事業開発・通訳などを務める。2016年に旭川に戻り(株)野村設計に入社。遊休不動産の活用事業を3年で約20件行う。2020年に〈アーティストインレジデンスあさひかわ〉を立ち上げ、芸術家との交流を通した地域活性を開始した。